高城神社

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【社 格】延喜式式内社、県社
【所在地】埼玉県熊谷市宮町2丁目93
【電 話】048-522-1985
【主祭神】高皇産霊尊
【相 殿】
【境内社】熊野神社
天神社(末社)
白山大神
琴平大神
八幡大神
大国主大神
鹿島大神
香取大神
伊奈利大神
【兼務社】
【御由緒】
延喜式神名帳に、武蔵国大里郡高城神社と掲る者にして、祭神は高皇産霊尊なりと云。元は社地の内北の方なる御蔵屋敷と云処にありしが、寛文11年新に宮社を造りて、今の地に移し祀ると云。末社。天神、稲荷。神楽堂。霊水。神木榎の側んる池なり。眼病を患るもの此水にて洗へば、立所に平癒せるとて、目洗水と号す。社宝。麾一。軍配二。鏃一、柳葉の形にて、銘に奉寄進高城大明神国重と鐫る。以上阿部豊後守忠秋の寄附する処なり。鉾一、貞享3年阿部志摩守正明、奉納の由を銘す。刀一、天文18年戌3月吉日、廣国作と銘あり。寄附人の名を傳へず。天国刀、寛延妙玄龍と云僧の寄附せしなり。天国寶刀記と云添状あり。其略に、余太曽祖村山次郎入道清久、当武州八王子の北に居城し、家世店国寶刀を蔵す。清久没し子清武の時、羽生城に依り居こと数年の後、寇兵の為に戦死す。二子あり。長は其名を失ひ、次を清昌と云、城の陥に及て、長男は家譜由緒を収て去て、清昌は此太刀を蔵して熊谷驛に隠棲し、其子清春、清春の子清次は、乃余が父なり。余出家して世嗣を絶しを以て、寶刀を高城大明神に奉る云々と載たり。神主福井喜太夫、吉田家の配下なり。別当石上寺。社地には住せず、宿の南にあるを以て、別に末に出す。
【例祭日】秋祭10月1・2・3日
春祭4月10日
酉の市12月8日
大祓6月30日
【H P】