東京都北区岸町1丁目12−26
03-3907-3032
東京都北区岸町1丁目12−26
03-3907-3032
【社 格】
【所在地】東京都北区西ヶ原2-11-1
【電 話】03-3910-1641
【主祭神】伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
伊邪那美命(いざなみのみこと)
天児屋根命(あめのこやねのみこと)
伊斯許理度賣命(いしこりどめのみこと)
市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
応神天皇(おうじんてんのう)
【境内社】
天祖神社:天照大御神(アマテラスオオミカミ)
豊受大御神(トヨウケノオオミカミ)
稲荷神社:宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)
熊野神社:熊野大神
菅原神社:菅原道真
三峯神社:三峯大神
疱瘡社:疱瘡神(ホウソウガミ)
【兼務社】
【御由緒】火災により古記録を焼失したため、創建年代等については不詳であるが、古くから西ヶ原村の鎮守であった。もとは無量寺の境内(現在の古河庭園内)にあったが、明治初年の神仏分離の後、現在地へ遷座した。
【例祭日】9月秋分の日とその前日
【H P】http://www.nanasha.jp
【社 格】郷社
【所在地】東京都北区上中里1-47-1
【電 話】
【主祭神】源義家、源義綱、源義光
【相 殿】
【境内社】
菅原神社
大門先・元稲荷神社
御料稲荷神社
石室神社(石室明神)
【兼務社】
【御由緒】奈良時代までの当地は荒墓郷と呼ばれていた。「平塚」の地名の由来とされる“塚”は、神社社殿裏にあり非公開であるが、北区によって「甲冑塚古墳」として登録されている[2]。 神社に伝わる『平塚明神并別当城官寺縁起絵巻』[3]によれば、かつてここに豊嶋郡の郡衙があった。平安時代に秩父平氏豊島近義がこの場所に城館(平塚城)を築てたと伝わる。平安後期の後三年の役の帰路に、源義家(八幡太郎)、義光(賀茂次郎)、義綱(新羅三郎)の三兄弟がこの館に逗留し手厚いもてなしを受けた。義家は感謝の験として鎧一領と十一面観音像を近義に下賜し、後に、この鎧を城の守り本尊として塚を築き埋めたのが塚の初めとされ、「鎧塚」「甲冑塚」と呼ばれた他、塚が高くなく平たかったことから「平塚」とよばれ、これが当地郷の地名のおこりとされる。
【例祭日】
【H P】http://hiratsuka-jinja.or.jp