
被告はドイツ西部ノルトライン・ウェストファーレン(North Rhine-Westphalia)州ボルケン(Borken)郡の出身で、1942 年6月から1944年9月までの間、現ポーランドのグダニスク(Gdansk、ドイツ語名 ダンツィヒ Danzig)の近くにあったシュトゥットホーフ(Stutthof)強制収容所で看守を務めていた。

被告は当時18~20歳だったため少年法によって裁かれている。氏名は公表されていないが、ドイツのメディアは「ヨハン・R(Johann R.)」という名前の引退した造園家で離婚歴があり3人の子供がいると報じている。


AFPの取材に応じた検事は、被告は看守として殺害に関与し、どのような方法で被収容者が殺害されていたかも知っていたと強調した。一方日刊紙ウェルト(Die Welt)の報道によると、被告は2017年8月の警察の取り調べで強制収容所での残虐行為については知らなかったと供述していた。
有罪になれば15年以下の禁錮刑となる可能性があるが、高齢であり上訴する可能性もあることから実際に服役することはないとみられている。
現在は博物館として公開されているシュトゥットホーフ強制収容所の管理当局によると、同強制収容所は1939年に設置され11万人を収容し、うち6万5000人が死亡したという。
【翻訳編集】AFPBB News