Platform 17 Memorial
GLEIS 17 AT GRUNEWALD STATION
1941年10月18日から、1945年2月までのGleis17を含む近隣の物資ステーションは、ベルリンに3つあったユダヤ人移送の主要な場所の1つでした。ベルリンのユダヤ人追放は1941年に約100人をGhetto ŁódźやGetto Warszawskieへ移送。1942年からはポーランド南部に開設されたアウシュヴィッツやGhetto Theresienstadtに1000人以上のユダヤ人を直接移送された。
Grunewald駅からは合計で5万人以上のユダヤ人を追放したとされている。
1991年10月18日、Karol Broniatowskiによって設計された記念碑が公開され記念式典が行われた。
1998年1月27日、Deutsche Bahn AGは旧鉄道貨物倉庫につながるランプ周辺で約15,000mの線路、160メートルのプラットフォームを再建し、荒廃したプラットフォーム17の周りに歩道を作るなど、Karol Broniatowskiの記念碑と関連した記念碑を築いた。
記念碑は、プラットフォームに配置された大きな鉄板で構成され、輸送の日付(年代順)、移送者の数、最終目的地が記載されている。プレートの数は全部で183枚で、そのほとんどにŁódź(ウッチ)もしくはTHERESIENSTADT(テレージエンシュタット)と刻まれています。
※Łódź(ウッチ)は当時ナチス・ドイツの占領後リッツマンシュタット(Litzmannstadt)」と改称された街である現在のポーランドの都市Łódź(ウッチ)を指し、もう1つのTheresienstadt(テレージエンシュタット)は当時の強制収容所の中継地であったチェコ北部の小さな街。