Projekt Riese
【Projekt Riese(プロジェクト・巨人)】はポーランドのバリム(Walim=Wüstewaltersdorf)、近くのシレジア・フクロウ山脈(Silesian Owl Mountains)の(Säuferhöhen=Osówka))とヴォルフスベルク(Wolfsberg)の周りの低い山脈に築かれたトンネル・システムのプロジェクトです。複数の個別トンネルから構成されている複合施設で、ヴォルフシャンツェの代替地として総統大本営の機能する予定であったと考えられている。
1943年9月、フクロウ山脈での総統大本営の建設はアルベルト・シュペーア軍備相(Albert Speer)託された。
1943年10月シュペーア軍備相はトート機関(Organisation Todt=OT)の上級管理職との会談を行い、Schlesische Industriegemeinschaft AGの指示の下で大規模な建設工事が開始されました。計画は党運動首都建設総監ヘルマン・ギースラー(Hermann Giesler)によってたてられた。
1943年11月 4つの共同収容所(GL/Gemeinschaftslagern)が設置され労働者としてソ連、ポーランド、イタリアからの捕虜が集められ、【Projekt Riese】を現場と近くの鉄道駅をつなぐために道路、橋、狭軌鉄道のネットワークの建設が開始された。共同収容所(GL/Gemeinschaftslagern)は1944年3月に5つ目のGemeinschaftslager V Tannhausenが設置される。
1943年12月、捕虜の間で発疹チフスが発生。
Gemeinschaftslager I Wüstewaltersdorf
ワリム(Walim)[1943年11月〜1945年5月]
50°41′50″ N 16°26′41″ E
Gemeinschaftslager II Dörnhau
コルチェ(Kolce)[1943年11月〜1945年5月]
50°40′7″ N 16°23′36″ E
Gemeinschaftslager III Wüstegiersdorf
グシカ(Głuszyca)[1943年11月〜1945年5月]
50°41′5″ N 16°22′21″ E
Gemeinschaftslager IV Oberwüstegiersdorf
グシカグルナ(Głuszyca Górna)[1943年11月〜1945年5月]
50°40′27″ N 16°22′44″ E
Gemeinschaftslager V Tannhausen
ジェドリンカ(Jedlinka)[1944年3月〜1945年]
50°41′55″ N 16°21′56″ E
1944年4月 Industriegemeinschaft Schlesienは非効率的であると不満を抱いたアドルフ・ヒトラーはトート機関(Organisation Todt=OT)に建設管理を引き継がせた。フランツ・ザヴェル・ドーシュ大臣(Franz Xaver Dorsch)とHans Meyer, Chief of OBL Riese and the whole area of Lower Silesiaの監督の下にOberbauleitung Riese(OBL Riese)設立。ヴストヴァルタースドルフの町のハウスモハウプトにある建設事務所(ヴァリム)は、上級建設マネージャーのレオ・ミュラー(Leo Müller)とフリッツ・レオンハートの(Fritz Leonhardt)監督を受けました。1944年7月、30,788人がOBL Rieseで働いた。グロス・ローゼン強制収容所の囚人を働かせることとし、13の労働収容所(AL/ALbeitslager)に配備された。1943年から1945年までの補助労働収容所では、合計13,300人が収容され、そのうち3,648人が死亡したと推定されています。警備は853人のSS守備隊によって監視されていた。
【Arbeitslager Riese】
13の労働収容所を総称して【Arbeitslager Riese】と呼称し、グロス・ローゼン強制収容所の外部収容所として管理された。AL Wüstegiersdorfを主収容所としてアルバート・リュートケマイヤー親衛隊大尉(SS-Hauptsturmführer Albert Lütkemeyer[1944年12月-1945年1月])が収容所長を務める。
AL Dörnhau(コルチェ/Dörnhau)Jun 1944 – Mai 1945
AL Erlenbusch(オルシニエツ/Olszyniec)Mai 1944 – Mai 1945
AL Falkenberg(ソコレッチ/Sowina)Apr 1944 – Feb 1945
AL Fürstenstein(クションシュ/Książ)Mai 1944 – Feb 1945
AL Kaltwasser(ジムナウォダ/Zimna Woda)Aug 1944 – Dez 1944
AL Lärche(グリニカ/Soboń)Okt/Dez 1944 – Feb 1945
AL Märzbachtal(マルコウィ・ポトク/Potok Marcowy Duży)Apr/Jun 1944 – Feb 1945
AL Säuferwasser(オソフカ/Osówka)Aug 1944 – Feb 1945
AL Schotterwerk(上グシカ/Głuszyca Górna)Apr/Mai 1944 – Mai 1945
AL Tannhausen(ジェドリンカJedlinka)Apr/Mai 1944 – Mai 1945
AL Wolfsberg(ヴォダルツ/Wolfsberg)Mai 1944 – Feb 1945
AL Wüstegiersdorf(グルジカ/Wüstegiersdorf)Apr 1944 – Feb 1945
AL Wüstewaltersdorf(ワリム/Wüstewaltersdorf)Apr 1944–1945
Zentralrevier Tannhausen(ジェドリンカ/Jedlinka)Nov 1944 – Mai 1945
1945年8月までに、大規模な防爆地下施設が建設さ、費用は1億3000万ライヒスマルクで、【Projekt Riese】の施設全体の大きさは194,232m²になるはずでした。総統大本営のバンカーシステムの面積は5,000m²です。
【Projekt Riese】は最高機密レベルあった為、作業に関わっている民間企業や周囲の人々の多くは、地下兵器生産と総統本部という2つの使用目的が推測していました。青写真が現存しない為、現在の状態からの正確な再構築はもはや不可能です。
記録として残されている物は建築家ジークフリート・シュメルヒャー(Siegfried Schmelcher)によって記された【Geheime Reichsache 91/44】というファイルが存在している。現在、判明している施設の規模は、総統大本営を中心に、陸軍高司令部(OKH)、空軍高司令部(OKL)、帝国外務大臣および親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラーの地下生活および執務区が計画されていた。さらに、警備および支援要員のための地下避難所を作るべきとされ、地下産業プラントも計画されていた。
既知のトンネルのリスト
Schloss Książ(旧称:Schloss Fürstenstein; touristisch erschlossen)
Rzeczka[ジェチュカ](旧称: Dorfbach; 3 Stollen touristisch erschlossen)
Włodarz(旧称:Wolfsberg; 4つのトンネルが見学可能)
Ludwikowice Kłodzkie(旧称: Mölke; 1 Stollen touristisch erschlossen)
Osówka(旧称: Säuferhöhen; 3つのトンネルが見学可能)
Sokolec[ソコレツ](旧称: Falkenberg; 未観光開発)
Jugowice(旧称: Hausdorf (Oberdorf); 未観光開発)
Soboń(旧称: Ramenberg; 未観光開発)
Głuszyca[グウシツァ](旧称: Wüstegiersdorf; 未観光開発)
“Riese” complex Jawornik
Sztolnie Walimskie “RIESE”