Sir Cecil “Boy” Bouchier

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サー・セシル・バウチャー
1895年英国に生まれる。第一次世界大戦中は英国陸軍砲兵隊員としてパレスティナに従軍。のちに空軍に入り、1918年には空軍士官となり、エジプトで空軍教官となる。1922年から25年にはファーンボローで、テストパイロット。1930年、空軍士官学校を卒業。1932年から1935年、インド空軍を創設。1940年のバトル・オブ・ブリテンでは、ロンドンのホーンチャーチ地区の指揮をとる。1945年のノルマンディ作戦ではスピットファイア戦闘機で空から上陸を支援。同年ビルマの司令官となる。1945~1948年、日本占領の英連邦空軍司令官として岩国に滞在。朝鮮戦争中は英国陸海空軍参謀総長直属の個人代表としてマッカーサー司令部に参加。1968年にドロシー・ブリトンと結婚し葉山に住む。1979年に死去。

  • Trumpeter, Honourable Artillery Company
  • Flying Officer – 2 February 1918 (Royal Flying Corps)
  • Flying Officer – 1 August 1919 (permamanent commission Royal Air Force)
  • Flight Lieutenant – 1 January 1926
  • Squadron Leader – 1 August 1935
  • Wing Commander – 1 July 1938
  • Group Captain – 1 December 1940
  • Air Commodore – 1 October 1946
  • Air Vice Marshal – 25 June 1949
  • Squadron Leader Cecil Arthur Bouchier, DFC appointed an Officer of the Order of the British Empire on 23 June 1936
  • Air Commodore Cecil Arthur Bouchier CBE, DFC appointed a Companion of the Order of the Bath on 14 June 1945
  • 9 March 1948 Air Vice Marshal Cecil Arthur Bouchier, CB, CBE, DFC is allowed to war decoration of Commander of the Legion of Merit conferred by the President of the United States in recognition of valuable services rendered in connection with the war.
  • Air Vice Marshal Cecil Arthur Bouchier, CB, CBE, DFC appointed a Knight Commander of the Order of the British Empire on 1 January 1953

ドロシー・ブリトン
本名 レィディ・バウチャー
1922年横浜生まれ。13歳で離日、アメリカや英国に住んだあと、1949年に日本へ帰り英国大使館に勤務。
『奥の細道』『銀のボンボニエール』『窓ぎわのトットちゃん』などを英訳。英語と日本語で多くのエッセイを発表。作詞、作曲、ハープの演奏家でもある。
1968年にサー・セシル・バウチャーと結婚したことにより、レィディ・バウチャーとなる。1979年のバウチャーの死後、彼の『回想録』を編集し、英国で出版。遺児のデレックと共に葉山で暮らしている。

 

英国空軍少将の見た日本占領と朝鮮戦争
少将夫人とレィディ・バウチャー編
サー・セシル・バウチャー(著) / 今井萬亀子(訳) / 加藤恭子、ドロシー・ブリトン(編)
価格:2000円+税
発行日:2008年12月
版型:A5判上製
ページ数:216頁
ISBNコード:ISBN978-4-7845-0583-8

連合国軍隊が敗戦国日本に進駐。
英連邦占領軍の司令部は岩国に。
その空軍司令官バウチャー少将が語るもうひとつの戦後史。
両大戦と朝鮮戦争に参戦したイギリス人の日本体験記!
【目次】
はじめに 編者ドロシー・ブリトン(レィディ・バウチャー)
Ⅰ 日本占領
Ⅱ 束の間の退役
Ⅲ マッカーサーと朝鮮戦争
Ⅳ 「バウチャーの書きっぷりが気に入ったね」
ウインストン・チャーチルとの一日
Ⅴ 聖クレメント・デーンズ
バウチャーが日本に出会うまで ドロシー・ブリトン
編者ドロシー・ブリトンについて 加藤恭子

訳者あとがき

 

英国の朝鮮戦争 29 July 2016.
Republic of Korea – 590,911

Colombia – 1,068

United States – 302,483

Belgium – 900

United Kingdom – 14,198

South Africa – 826

Canada – 6,146

The Netherlands – 819

Turkey – 5,453

Luxembourg – 44

Australia – 2,282

Philippines – 1,496

New Zealand – 1,385

Thailand – 1,204

Ethiopia – 1,271

Greece – 1,263

France – 1,119”

戦死 1078人
負傷 2674人
戦闘中に行方不明 3737人
捕虜 4439人

6月27日に国連安保理は北朝鮮弾劾・武力制裁決議に基づき韓国を防衛するため、必要な援助を韓国に与えるよう加盟国に勧告し、7月7日にはアメリカ軍25万人を中心として、日本占領のために西日本に駐留していたイギリスやオーストラリア、ニュージーランドなどのイギリス連邦占領軍を含むイギリス連邦諸国、さらにタイ王国やコロンビア、ベルギーなども加わった国連軍を結成した。なおこの国連軍に常任理事国のソ連と中華民国は含まれていない

イギリス陸軍は、オーストラリア第34歩兵旅団を主力として広島県内の各所に駐屯し、ニュージーランド軍やイギリス領インド軍も多くを占めた。
イギリス海軍は、1945年以降に他の連合国軍艦艇とともに日本近海で作戦行動を行っていた、イギリス軍とオーストラリア軍がその多くを占めることになった。また、戦後シンガポールに戻った東洋艦隊の一部が呉におかれ、「HMSトライアンフ」や「HMS シーシュース」などの空母や駆逐艦、軽巡洋艦などが呉から朝鮮戦争に出撃している。
イギリス空軍は、岩国基地にオーストラリア空軍の「スーパーマリン スピットファイア」や「ノースアメリカン F-51D」などの戦闘機やダグラスC-47輸送機が配備されたほか、イギリス空軍の最新鋭のジェット戦闘機である「グロスター ミーティア」も配備されていた。これらの多くが朝鮮戦争時には金浦基地などに展開されている。

イギリス連邦占領軍のセシル・バウチャー少将