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Osamu “TIO” Suzuki 鈴木 治 プロフィール
1963年横浜生まれ。1988年、ハード・ロックを中心に海外のロック・ミュージシャンを撮影。 レコード会社のアーティスト・オフィシャル・フォトグラファーとしてGlenn Hughes、John Lynn Turner、W.A.S.P.、Yngwei Malmsteen、Night Ranger等のハード・ロックを中心に、ビョーク、カーディガンスなど来日アーティストを撮影。
ステージ撮影ではGlenn Hughes、Praying Manti、Savatage、FIREHOUSE、Night Ranger、TEN、Fair Warning、FEEDER、RIOT、LANA LANE、W.A.S.PなどのLive Albumに使用されている。 1991年、湾岸戦争時には、イギリスでPraying Mantisのプロモーション・ヴィデオ(Can’t see the angels、Borderline、This time girl)を制作。 放送媒体ではJ-Waveで選曲家として開局から3年、Space Showerでは開局時にハードロック・プログラム【WILD SIDE】を立ち上げ、構成、インタビューブッキング担当。 海外での取材では、まだ日本で知られていなかったAlmighty、Ramstein等のBandをプライベートで撮影し、誌上にて紹介する。
撮影からいったん離れ、DTP、WEBなどのDesignを中心に活動する。 DTPではConcert FlyerやPoster、WEBではプレイヤー、Bar、Hotel、企画興行会社、自らのホームページ【Conmoto】を製作。その他、アパレルのSale用カッティングシート製作、楽器店の店舗、大型屋外看板、デザイン・チームの編成と多様なDesign にチャレンジを続ける。 2007年より、Jazz、Classicと音楽ジャンルを替え、撮影を再開。2008年より金管楽器メーカー、プレイヤーと交流しフランクフルト・ミュージック・メッセ、PAXMAN(England)をはじめ国内外で撮影をする。 2011年、ベルリンフィルハーモニーの東日本震災支援に感謝の意を表して、ガボール・タルケヴィ(首席トランペット) & オラフ・オット(首席トロンボーン)両氏のリサイタルをボランティアで撮影。 牧山純子オフィシャルフォトグラファーとしてCD「Preghiera」撮影、Artworkを担当。
2012年日髙 剛(東京藝術大学)のファースト・アルバムの撮影、Artworkを担当。
出会いの連鎖でチャンスをつかむ (雑誌に掲載されたインタビューです。ブルー文字は補足です。)
カメラマンになりたいって思ったことは一度もないです。
元々、音楽は好きで、クラシックをやっていたんです(トロンボーンを吹いていました。先生は伊藤 清氏です。)。だけど、いろいろあって、20際の頃にロスに行きました。当時のロスは、時代的にハードロック一色でね…、世間ではLAメタルなんていって騒がれていました。ロスのライブハウスに入り浸っていたら、自然ととミュージシャンの知り合いも増えました。音楽はすきだったので、ミュージシャンと話をするのは楽しかったです。
帰国後は、某輸入レコード会社(Cisco)。の仕事を手伝う事になったんです。ロスで出会ったミュージシャンのレコードを、日本に持ってきたり…という仕事をしていました。そのレコード会社、今では結構な大手なんですけど、当時の俺はそんなの全然知らなくて…。飲み屋で知り合いになった人と、音楽について語り合っていたら誘われて始めた仕事でした。
レコード会社の仕事を手伝っていたら、雑誌社、テレビ関係者、ラジオ関係者の人たちと知り合いになって、気がついたらNHKラジオやJ-WAVEなどの構成作家をやってました。
仕事でミュージシャンをインタビューするときや、ライブに行ったときに、プライベートで写真を撮っていたんです。その写真がポニーキャニオンの方の目にとまって…。それからですね、写真の仕事がふえてきたのは。
実は俺のおじさんもカメラマンなんですよ故二村 保。パリ・ダカとか、ラリーの写真を専門に撮影するカメラマンで、写真集もだしています。その影響で俺もラリーの撮影をしたことあるんですけど、ダメでしたね。ラリーの世界が俺には理解できないんですよ。ラリーに対するキャパの狭さが写真に出ちゃうんですよ。やっぱり、俺は車より音楽なんですよ。
大好きなミュージシャンがステージでライブをやっていると、シャッターを押したいと思う瞬間があるんです。ミュージシャンの「熱」が現れる瞬間です。そうした瞬間を撮影したいんです。ミュージシャンが真剣なので、こっちも命がけです。ライブの前は、ミュージシャンのセットリストを全部暗記して、この瞬間にこんなアクションをする…とかシャッターを押す場面をシミュレーションします。ライブは一度きりの生きものなので、失敗は許されませんからね。37枚のフィルムで例えると、3カットミスショットがあったら、気持ち悪くてイヤなんです。それは、俺のなかではプロとして失格と言うことです。 「モトリー・クルー」や「エアロスミス」「ラット」など、多くのミュージシャンと友情を築けたことは嬉しいです。だけど、プロとして仕事をする以上、楽しい事ばかりではありません。99%イヤなことがあっても、1%楽しいことがあったら続けている…それがプロだと思います。カメラマンを目指す以上、希望を持つことは大切だと思います。目標を設定してしまうと、それを超えたときに満足して、それ以上進めなくなってしまうとこがあります。希望はいくらでも大きく成長します。常に希望を成長させて、その希望に向かって、明確に努力を続けていれば、仕事に対して自然と愛情が湧いてくると思います。
EL TIOとCONMOTO
ボリビアの鉱山の神【EL TIO】
私のニックネーム”TIO”は、ボリビアの鉱山の神【EL TIO】から来ています。侵略者スペイン人は征服した人々にカトリック信仰を強要したが、ボリビアの南部にある都市ポトシの鉱山では、彼らだけの神を必要とした先住民の間で、生まれたのが鉱山の神ティオである。ポトシの鉱山では、坑内の休息所にはたいてい等身大に近い男性の胸像または立像が飾られている。やせ形で赤ら顔でひげを生やしており、しばしば角が生えている。 このティオにたばこをくわえさせ酒を捧げることによりご機嫌を取り、坑内の安全を祈願するのである。そして、捧げ物の純度が高ければ、その鉱山から純度の高い好物が採取されると言われます。しかし、 カトリック信仰では地の底に住むものは悪魔とされることから、鉱山の神ティオはやがて悪魔と呼ばれるようになる。
オフィスに遊びに来られるときは、タバコを差し入れると撮影枚数が多くなるかもしれませんよ。
CONMOTO
お気づきの方もいらっしゃると思いますがデザイン・オフィス・コンモートの名前は、「動的に」、「活発に」の意味を持つ、音楽の発想標語が由来となっています。常に動き、活発に活動する。そして、デザイン、写真を通じて停滞している仲間を活気づけることが出来ればと思っています。