シュタイニッツァー・プログラム

今年(2023年)こそ、ここ数年いつかはと心に刻んでいたシュタイニッツァー・プログラムを実行しようと思う。
(まだ、多摩百名山も終了していないが、そろそろスタートさせないと身体がキツくなりそうだ。)
このプログラムはウィルヘルム・シュタイニッツァー著『日本山岳紀行 ドイツ人が見た明治末の信州』に紹介され、彼の歩い行程への挑戦だ。
シュタイニッツァーが来日した時代は1911年(明治44年)だった。
当時の日本は台湾、樺太、関東州、朝鮮を統治に置いていたが国内では
1月12日 – テオドール・エードラー・フォン・レルヒが、新潟県高田(現在の上越市高田)陸軍歩兵連隊の青年将校に、日本で初めてスキーの指導を行なったとされる。
1月19日 – 千里眼の能力を持つとされ注目されていた御船千鶴子が自殺。この約1か月後に同じく千里眼能力を持つとされた長尾郁子も病死し、千里眼事件は下火となり収束していく。
3月1日 – 帝国劇場開場(日本初の洋式劇場)。
3月11日 – 日本で普通選挙法が衆議院で可決される。
4月9日 – 東京市浅草区の吉原遊廓から出火し大規模火災となる。
8月8日 – 稗田山崩れが発生。長野県小谷村の稗田山が大崩壊。日本における20世紀最大級の土砂災害となる。
8月29日 – 東京朝日新聞が「野球と其害毒」連載を開始、9月22日まで22回に渡って野球に対するネガティブ・キャンペーンを展開する。
11月1日 – 青森県三戸郡湊村(現:八戸市湊町)の漁民約1100人が鮫村(現:八戸市鮫町)にあった東洋捕鯨株式会社の鮫事業所を襲い、放火・破壊した東洋捕鯨鮫事業所焼討事件
11月18日・19日 – 日本初のオリンピック代表選考会「国際オリムピック大会選手予選会」が開催される。[Wikipediaに掲載]
など今では考えられない事が平気で起こる時代だった。欧州を始めとする海外の人達には『未知の国』だったことは間違いない。
シュタイニッツァーも記しているように観光客も多く訪れていたようだ。
彼の歩いたルートは現在でもかなり厳しい行程になる。112年経った今、ダム建設、自動車専用道路の開通、現在はない交通手段などで不確かなルートも多くあるが、彼の残した記録の正確に驚かされた。
馬車や馬の引く路面電車など代替にバスがあるなら利用しようと思うが、下車駅から歩いての登山なら下車駅から歩こうと思う。

サイトへの掲載は著書の目次どおりに進めていく。シュタイニッツァーの歩いた順番は前後することは仕方ない。なんせしょっぱなから日光湯元から長野までの行程なのだから。

ウィルヘルム・シュタイニッツァー

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日本山岳紀行 ドイツ人が見た明治末の信州
W.シュタイニッツァー

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Autor/in: Wilhelm Steinitzer
Titel: 『Japanische Bergfahrten. Wanderungen fern von Touristenpfaden.』
Verlag: Ernst Reinhardt
Ort: München
Erschienen: 1918
Format: ca. 23,9 x 16,1 cm
Seiten: 119
Gewicht: 750 g

 

W.シュタイニッツァー他著書

Titel: 『Brasilianisches Biderbuch』
Verlag: Ernst Reinhardt
Ort: München
Erschienen 1928
Format:
Seiten: 96、地図、96枚の画像。
Gewicht:

安藤 勉 (翻訳)プロフィール
1947年、長野県上伊那郡辰野町生まれ。
上智大学外国語学部卒業、同大学院修士課程修了。日本医科大学助教授(独文学・日独文化交流史)。日本独学史学会理事、日本独文学会ほか会員。長野県の住所は上伊那郡辰野町下辰野1666。
著編書
『欧米文学交流の諸様相』(三修社、共著)
『入門独和辞典』(朝日出版社、共編)ほか
訳書
C・ロス『日中戦争見聞記』(新人物往来者、共訳)
R・ヴェルナー『エルベ号艦長幕末記』(新人物往来者、共訳)
T・プリーヴィエ『ベルリン』(近刊)

日本山岳紀行 ドイツ人が見た明治末の信州
W.シュタイニッツァー

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• 出版社 ‏ : ‎ 信濃毎日新聞社
• 発売日 ‏ : ‎ 1992/1/20
• 単行本 ‏ : ‎ 308ページ

復刻改訂版

• 出版社 ‏ : ‎ 信濃毎日新聞社
• 発売日 ‏ : ‎ 2013/10/29
• 単行本(ソフトカバー) ‏ : ‎ 308ページ

この本は著者が本国ドイツに戻り、1914年5月に書かれ、1918年11月11日の休戦協定まで戦われた第一次世界大戦のさなかに出版された本である。著者によって1917年11月ベルギーのスで書かれた『まえがき』は大きな意味を持ってくる。そしてこの本は、本国ドイツで出版されてから74年の時を経て信濃毎日新聞社によって出版された。