三角点

陸地測量部沿革
1871年(明治4年)7月、兵部省に陸軍参謀局が設置される。
1872年(明治5年)4月4日、2月27日に兵部省廃止。陸軍参謀局が陸軍省として設置。
1873年(明治6年)4月1日、参謀局は第六局に改称。
1874年(明治7年)2月22日、第六局を廃し再び参謀局が置かれる。
1875年(明治7年)6月18日、陸軍省の外局として参謀局が置かれる。
  • 第1課(総務課)
  • 第2課(亜細亜兵制課):亜細亜洲(アジア州)各国兵制の課。
  • 第3課(欧亜兵制課):欧羅巴(ヨーロッパ)、亜墨利加(アメリカ)兵制の課。
  • 第4課(兵史課)
  • 第5課(地図政誌課)
  • 第6課(測量課)
  • 第7課(文庫課)
1878年(明治11年)12月、参謀局を参謀本部と改称し、陸軍省から独立し、軍政と軍令が分離する。
  • 管東局
  • 管西局
  • 総務課
  • 伴属諸課
  • 地圖課(明治17年9月9日参謀本部條例を改正し測量課とともに測量局へ格上げ)
  • 編纂課
  • 飜譯課
  • 測量課(明治17年9月9日参謀本部條例を改正し地圖課とともに測量局へ格上げ)
  • 文庫課
1884年(明治17年)9月9日、参謀本部條例を改正し地圖課と測量課が参謀本部測量局へ格上げ
1886年(明治19年)3月18日、陸海軍統合参謀部門として「参謀本部」が設立され、その内部に陸軍部及び海軍部が置かれることとなった。
測量局は支部(外局)として組織される。
1888年(明治21年)5月14日、陸地測量部條例(明治21年5月勅令第25号)の公布とともに、参謀本部の一局であった位置付けから本部長直属の独立官庁として陸地測量部が設置された。日本水準原点は、当時の庁舎敷地内(東京三宅坂国会前庭付近)に設置されたものである。
  • 三角科
  • 地形科
  • 製図科
  • 修技所(後の国土交通大学校の元となる組織。現在の国土交通省、総務省庁舎敷地に設置)が置かれる。
1891年(明治24年)6月10日、地形科が麹町区裏霞ヶ関の近衛歩兵第4連隊兵営跡に、
1903年(明治36年)5月31日、修技所が元臨時陸軍建築部跡にそれぞれ移転。
1941年(昭和16年)4月、陸地測量部條例の全部改正となる「陸地測量部令(昭和16年勅令第505号)」により、新たに総務課が設置され、
  • 第一課(三角科)
  • 第二課(地形科)
  • 第三課(製図科)
  • 教育部(修技所)
  • 総務課
1945年(昭和20年)8月31日、終戦により参謀本部が解体されるのに伴い業務は内務省地理調査所に移管され、その後国土地理院となって現在に至っている。

伊吹山頂一等三角点

陸地測量部[1888年(明治21年)5月14日-1945年(昭和20年)8月31日]の【点の記】に記名されている人達

  1. 柴崎 芳太郎[選点者
  2. 三原 昌[選点者
  3. 玉井要人(五臨)
  4. 田中岩松(戸倉村、)
  5. 中村栄蔵(戸倉村、)
  6. 嵯峨論(戸倉村、)