大阪本王子

大阪本王子(おおさかもとおうじ)は、大阪峠(逢坂峠)の麓にあることから名づけられたと見られる。逢坂峠は近露側から登るには相当の急坂であることから、古くから大坂と呼ばれており、『為房参詣記』10月7日条に「大坂之草庵」、『中右記』10月14日条に「大坂本王子」の地名が登場している[13]

江戸時代には「大坂王子」「相坂王子」とも記され、『続風土記』には社殿はなく碑のみとし、御幸記より大坂本王子の跡地と推定しているが、『熊野詣紀行』には小社ありと述べられている[14]1909年(明治42年)に近露の近野神社に合祀され、廃絶[13]。『続風土記』は大坂王子と記された碑があったと伝え、『熊野詣紀行』は小祠があったとしている[14]が、いずれも明治末年以降、行方が知れない[15]。現比定地に遺されている笠塔婆は、他に見られるものと同じく鎌倉時代後期に造立された町石卒塔婆である。

  • 所在地 田辺市中辺路町近露逢坂2511