一ノ瀬王子

一ノ瀬王子(いちのせおうじ)は、稲葉根王子跡の岩田神社から富田川(岩田川)沿いに進み、一ノ瀬橋を渡った富田川左岸にある。前出の『田辺領神社書上帳』によれば、蛇形の石を神体とし、本山派山伏威徳院が社役を勤めていたという[23]

史料上には、『明月記』建仁元年(1201年)10月13日条に「一ノ瀬王子」とある[24]ほか、寛喜元年(1229年)の藤原頼資の独参記に「於石田一瀬昼養」、 吉田経俊の『経俊卿記』建長6年(1254年)2月7日条や康元2年(1257年)閏3月28日条に記述が見られる[25]

一ノ瀬は富田川の渡河点であることから、水垢離の場として重んじられ[26]、『源平盛衰記』巻40の平維盛の熊野詣記にも岩田川にて垢離をとったと記され、『熊野縁起』にも祓の場所と述べられている[25]。その後も、足利義満の側室北野殿の熊野参詣記『熊野詣日記』応永34年(1427年)9月26日条に、中世熊野詣の故事にちなんで垢離をとったとあるほか、文明5年(1474年)の『九十九王子記』にも、その名が見られる[25]

宝暦14年(1764年)の古記録(興禅寺蔵)によれば、近世初頭に既に廃絶しており、そもながらく不明なままであったが、紀州藩の調査で旧社地が確定され、再興された際の棟札が伝えられている[23]。前出の『田辺領神社書上帳』によれば、建前3尺四方、表口2間・裏口1間の拝殿、境内は奥行き4間・幅3間であったという[23]。1907年(明治40年)、対岸の春日神社に合祀され、以来、小祠と高さ2mほどの石碑が旧社地にのこされている[27]

旧社地は和歌山県指定史跡(1955年〈昭和33年〉4月1日指定)[28]