十丈王子(じゅうじょうおうじ、重点王子〈じゅうてんおうじ〉[10]とも)は大門王子から2キロメートルあまり、上田和への上りに差し掛かる十丈峠(じゅうじょうとうげ)の付近にある。「重照王子」[11]とまれに記されるが誤記である[10]。中世参詣記には重點(じゅうてん)の地名および重點王子の社名で登場し、『中右記』10月24日条に雨中に重點を通過したとあり、王子の名は『愚記』10月14日条に初見する[10]。また、『承元参詣記』4月30日の条では、重點原で昼食をとってから、王子に参詣したとしている。
重點の名が十丈に転じた理由は明らかではないが、時期としては江戸時代以降のことで、『紀伊続風土記』には「十丈王子社境内周三十間」とある[10]。江戸期には茶店などを営む小集落が近辺にあり、王子神社として祀られていた。明治時代以後は村社とされたが、1908年(明治41年)春日神社(田辺市大塔村)に合祀され社殿は撤去された、1970年代始め頃までには集落からも住人が退去し、一帯が竹藪に帰していた時期があったという[12]。