水呑王子

発心門王子から林道を下って、小集落の中を抜けてゆくと本宮町萩に出る。集落のなかの道を進み、右手に分かれる林道に上がって2km弱のところに水呑王子(みずのみおうじ)があり、緑泥片岩碑が立っている。

和歌山県聖蹟』では『愚記』を根拠に水飲王子の名を採り、現在もその名で呼ばれているが、中世の参詣記(『中右記』『愚記』)には内水飲王子と明記されており、『縁起』や『王子記』も同様の王子名を記録している[6]ことから、16世紀末頃までは内飲水と呼ばれていたことがわかる。古くは、高原(田辺市中辺路町)にも「水飲」なる地名があったと『中右記』にあり、『縁起』や『中右記』の記述からすると本宮から3日行程と見られることから大門王子の近辺と推定されている[7]。これら2つの地名を区別するため、また、発心門のうちにあって本宮に近いことからこのように呼ばれたようである[8]

『続風土記』には「水呑王子」の名が見られることから、現在の名が定着したのは遅くとも江戸時代以降と見られる。現在地は、三里小学校三越分校の校地跡であり、校地の工事のために少なくとも2度、移動させられている[6][9]

  • 所在地 田辺市本宮町三越字大横手1416-1