心不全で

車をやめ公共交通機関を使って上田に向かった。北赤羽始発で高崎へ向かい、高崎から上田には北陸新幹線でなければ碓氷峠が越えられない。

座席に着き予定の登山ルートを確認を始めた。鼻水が気になりマスクにあてた指には血がついていた。「鼻血?」と思いエマージェンシーキットからティッシュを出してからマスクを外すと、マスクは血だらけの状態だった。窓に移った顔はドラキュラの食後の様に血だらけだ。出したティッシュではたらず、ウェットティッシュで顔お拭い、止血をしたがダボスでバスから降りるまで止まらなかった。

先日、高岩から見たときはかなり白かった浅間山だが、車窓から見えた姿には残雪も残っていなかった。雪用具は持って来なかったので少し安心した。

上田駅につき駅前のコンビニで予備のマスクを購入。駅から菅平高原ダボス行きのバスに乗る。乗客は僕以外にもう一人いたが、途中で降りてしまったので貸し切り状態だった。降車後、菅平牧場売店まで3kmほど歩いた。売店で恒例の山バッチを買い、帰りにまたよることを伝え登り始める。天気が良ければのんびり登れるのだが、空は分厚い雲に覆われている。売店の方に「根子岳と四阿山間は崩れているところがあり、残雪の残っている」と聞き「根子岳から峰の原高原に下山しよう。それなら時間の余裕もあるし友人たちと合流しやす」とその時は考えていた。

登り始めて数分で菅平牧場東屋につく。この東屋からの展望は素晴らしい、次回は売店でソフトクリームを買ってここでゆっくりするのも良いなと思いながらも、先ほどよりも雲が厚くなり風も強くなってきたことが気になり始めた。樹林帯に入れば風から逃れ、山頂までは行けそうだ。他の登山者は見かけない。2000mを超えたあたりから霧も濃くなり、風と共に雨が横殴りで降り始めた。天気が良ければ山頂まで2時間程度で登れるはずが、登れば登ほで状態は悪くなり、山頂についた時には16時近くになっていた。ここまで天候が悪いと写真どころではない。予定通り峰の原への下山を開始する。が、小雨に強風、霧で前が見えない。数分下山したところで残雪でルートがわからない。片側は足場があるのかもわからない。やむおえず山頂に引き返すことにした。

体力的にもキツくなってきた。強風のおかげで食事も取っていなかった。山頂付近でビパークする場所を探すが、シェルトを建てるためにペグを打てる地面が石ばかりでない。風を避けられそうな藪の中にどうにか場所を確保し、シェルトを建てた。ようやく食事。公共機関で登山口に向かうとどうしても登り始めが遅くなってしまう。風雨の状態を見ながらいつでもビパークできる状態で登ってきたルートを下山。東屋に戻った時はa.m.3:00になていた。こんなに早くここに戻ってくるとは思ってもいなかった。しかも、こんな状況で。そうそう東屋の中に再度シェルとを張り、寝ることにした。3時間ほど寝て、朝食を食べている時には昨夜が信じられないぐらいの天気になっていた。牧場入り口でゲートの人と売店の方に再会。「あの天気で山頂で過ごしたの?」と。合流予定の友人にゲートまで迎えに来てもらい宿へ。

近くのグラウンド脇に生えているドイツトウヒの松毬をお見上げに帰路についた。

その翌日、左背中が掴まれているような違和感とともに、痛みが襲ってきた。前日の荷物の重さで疲労疲労しているものと思い込みベットで1日を過ごした。翌朝、出勤途中に動けなくなり、帰宅し病院へ行く準備をし、徒歩5分程の主治医の病院へ向かった。

ところが、数歩で歩けなくなる、コロナでタクシーも少ないうえ、歩道に蹲み込んでい手は止まってくれない。どうにか、タクシーを止め、病院の外来口へ。

「T先生に診てもらっている者ですが、苦しくて耐えられません。」保健証などまとめてある手帳を出し、受付前で膝をついた。

1分としないうちにストレッチャーが来て、緊急外来へ搬送された。数人の医師と看護師に囲まれ、点滴が刺され、心電図、酸素飽和度、血圧の検査と同時に治療が始まりった。2時間後には経皮的冠動脈インターベンション(PCI)を受けていた。ICU(集中治療室)に入った時は、何事も無かったように胸も楽になり、脂汗もかかなくなっっていた。

「あと2時間処置が遅れていた、心臓へのダメージが大きく生活に支障をきたすようになっていただろう」

「あんな状態で歩いてここまで来るなんて正気なの?本当に危険な状態だったのよ!」

「絶対タバコはダメ!本当にダメだからね!」

「彼にはまだやりたい事があるから、死なせない。」

入院中、何度も頭をよぎったのが初めてネパール大使館に行った時、帰りぎはにA・Nさんに「お酒飲んじゃダメですよ」と背中にかけられた言葉だった。そして、この退屈な入院中に数冊の本を読んだ。その中の一冊、高村薫の「マークスの山」が退院後の最初の目的となる北岳へと導いた。

 

持ち帰ったドイツトウヒの松毬に残っていた種をまいた。一ヶ月後の