27
6月

2023 Imja Tse[Island Peak]6,160 m

アイランド・ピーク[Island Peak]
アイランド・ピークはネパール東部のヒマラヤのサガルマータ国立公園[Sagarmatha National Park]にある山です。
標高:6,160 m(20,210フィート)
プロミネンス:475 m(1,558フィート)
コーディネート:北緯27度55分21秒 東経86度56分10秒

氷の砂漠周囲を囲まれていてディンボチェ[Dingboche]から見ると海に浮かぶ島のように見えるため、1951年に英国のエリック・シプトン[Eric Shipton]が率いるエベレスト山探検隊によってアイランド・ピークと名付けられました。

山頂は、実際にはLhotse Shar(8,383m)の南端から降りてくる尾根の延長にあります。
1953年、ジョン・ハント[John Hunt.]率いるエベレストへの遠征隊による訓練演習の一環としてチャールズ・エバンス[Charles Evans]、アルフレッド・グレゴリー[Alfred Gregory]、チャールズ・ワイリー[Charles Wylie]、テンジン・ノルゲイ[Tenzing Norgay]、他7人のシェルパによる南西サミットの初登頂。
1956年4月6日、アルバート・エグラー[Albert Eggler]率いるエベレストとローツェへのスイス遠征中にハンス・ルドルフ・フォン・グンテン[Hans-Rudolf Von Gunten]とギャルゼン・シェルパ[Gyalzen Sherpa]、プルバ・ロブサン・シェルパ[Phurba Lobsang Sherpa]がメインサミットに初登頂しました。

1983年にイムジャ・ツェ[Imja Tse]と改名されましたが、アイランドピークという名前は今でも口語的に使われています。
Climbing route

アイランド・ピークを登るのは難しいとは考えられていません。通常のルートの難易度はWS(UIAA Grade II)と評価されています。難易度が低く、アクセスしやすいため、人気のトレッキング・サミットです。したがって、それはしばしば商業遠征の標的になります。遠征隊のメンバーには、体力が良く、山での経験がほとんど必要ありません。その標高と極端な温度のために、山はより高いヒマラヤ山脈を登るためのトレーニングとしてしばしば使用されます。山は通常4月から5月と10月から11月の間に登ります。その人気のため、登山にはネパール登山協会からの有料の許可が必要です。

ディンボチェ(4340m)から、チュクンを経由してパレシャヤギャブ[Pareshaya Gyab] 5,087mのアイランド・ピーク・ベースキャンプにトレックしていきます。ベースキャンプは、イムジャ・ツェとイムジャ氷河[Imja Glacier]の側方モレーン(moraine、堆石、氷堆石)の間にあります。
ベースキャンプを午前2時から3時の間に出発するのと、登頂日に体力と時間を節約するために、ベースキャンプの反対側に回り込みハイ・キャンプ[High Camp](5,600m)からスタートする方法があります。水の供給と高地での睡眠に関する懸念により、ベースキャンプから開始する方が良いと考えられています。
ベースキャンプからハイキャンプまでは基本的にはハイキングです。ハイキャンプからは岩だらけの登りが続き、スクランブリングでの登りが必要となります。山の南東側にある氷河に通じています。峡谷の頂上で、氷河の旅が始まり、急な雪と氷の斜面まで進みます。※ヘッドウォールクレバス:山頂の尾根につながるヘッドウォールのにクレバスにより、チームが後退することがありました。 2009年4月、ネパール登山協会はネパール登山インストラクター協会にクレバスに階段(はしご)を設置するよう命じました。[6] 2016年の秋の登山シーズンの時点で、クレバスを横断するために高さ5メートルの固定アルミニウム製はしごが使用されています。
氷河を渡った後、高さ約100m、尾根に対して最大60度の急な傾斜があります。
この氷河の斜面には通常、管理された固定ロープが付いており、アセンダーを使用して登ることができます。次のそれほど急ではない露出した尾根は、頂上に直接つながっています。
頂上の少し前に、短く急な上り坂があります。
尾根全体には通常、頂上まで固定ロープが付いています。

 

ベースキャンプからキャンプ1[Camp1 5,700m]を登るルートもある。

山頂からは8000メートル峰の ローツェとマカルーがよく見えます。
エベレストは北にわずか10 kmの距離にありますが、頂上から2,300 m(7,500フィート)の高さにそびえるローツェの巨大な壁によって視界が遮られます。

22
6月

2 赤指山

22
6月

8 市道山

22
6月

9 今熊山

22
6月

30 刈寄山

 

刈寄山2023年5月27日

 

二等三角点

北緯 35°42′03″.6164 東経 139°11′48″.6453 標高(m) 687.05

 

 

 

 

22
6月

38 黒ドッケ

 

22
6月

39 黒山

22
6月

92 丸山

22
6月

81 北岳

2021年8月2日ー4日

16
6月

『黒牛と熊』

くろべことくま『黒牛と熊』

― 岩手県 ―
むかし、あるところにひとりの男がおって闘牛(とうぎゅう)を飼(か)っていたと。
黒牛(くろべこ)の、すばらしい闘牛だと。角(つの)は人の腕(うで)よりも太く、歩く姿はまるで黒い大岩(おおいわ)が動き出したようだ。角あわせをしても、一度も負けたことがない。
名前をクロとつけて自慢の種だったと。
ある年の角あわせの日、クロに組み合わせの知らせが来なかったと。
男は、クロをひいて会場へ行った。世話役(せわやく)さんに、
「俺(おれ)とこに、出てくれという知らせが無いのはどういうこった」
と聞いたら、世話役さんは、
「お前(め)とこのクロはあんまし強いんで、誰も角あわせしたくねえちゅんだ」
という。

 しかたなく男はクロをひいて帰ったと。
牛小屋(うしごや)にいても、闘(たたか)う相手のいないクロは力を持て余しているふうだ。
「すまねぇなクロや。いまにきっとお前の相手になるような牛(べこ)っこを見つけてやっから」
と、毎日いいきかせていたと。
ところがある朝、男が牛小屋に行ってみると、クロの姿が見えない。
あちこち探してみたが見つからない。探しあぐねて牛小屋で待っていたら、しばらくしてクロが帰って来た。
クロはからだじゅう汗にまみれ、目もどんよりとして、今までに見たこともないような疲れ方をしている。
クロは、小屋に入ると、すぐに横になったと。

次の朝、男が起きたときにもうクロはいなかった。戻って来たときには、昨日と同じように疲れきって、ゴロンと横になるのだと。
その次の朝、男はまだ暗いうちに起きてクロが牛小屋を抜け出して行くのを見張り、そっとあとをつけたと。

 クロは山の奥へズンズン分け入って行く。いくがいくがいくと、林に囲(かこ)まれた広場のような草地(くさち)に出た。立ち止ったクロのからだに力がみなぎって、何かに合図するかのように低くないたと。
すると、向いの林の中から、大きな熊がのそりと現(あら)われた。
クロと熊はしばらくにらみ合った。

先にクロが仕掛けた。頭を下げ、激しい勢いで突っかかった。

 熊は仁王立(におうだ)ちになって、前足でクロの頭を叩(たた)きつけたと。
クロはたくみに角で受け止めた。二度三度互いに押しあったが、やがて、そのままの姿勢(しせい)で、どちらも動かなくなった。クロは下から、熊は上から、血走った目でにらみあったまま時が経っていた。
突然、二頭は、サッと左右に別れた。熊はのっそりとからだを振り向けると、林の向こうの繁(しげ)みに入って行き、クロもゆっくり向きを変えて、帰りはじめた。
男は見え隠れにそのあとを追いながら、どうにかしてクロを勝たせたいと思案(しあん)したと。
真夜中に、まだクロが眠むっているうちに角にべっとりと油をぬりつけたと。

次の朝早く、また、クロは出掛けたと。男はあとをつけた。
昨日の広場にはすでに熊が来ていて、クロが広場に着いたとたんに、突進(とっしん)してきて襲(おそ)いかかった。

 クロは首を振って、下から熊をはねあげようとした。これを押えつけようとした熊の前足が、油でぬらりと滑り、角は熊の脇腹(わきばら)に深く突きささった。
たちまち熊ははねあげられ、落ちてくるところを、もう一度角を突き立てられて、死んだと。
男は踊りあがって喜び、クロのところへ走り寄った。
ところが、クロはうつろに遠い山の空を見ているだけだった。
牛小屋に帰ったクロは、それから何も食(く)わなくなり、次第にやせほそっていったと。
そうして、骨と皮ばかりになった頃、牛小屋から姿を消し、あの山奥の広場の熊の死骸(しがい)に寄り添って息絶えたと。
男は、クロの角に油を塗ったことを悔(く)いた。
そして、クロと熊の亡きがらをていねいに葬(ほうむ)り、そこに社(やしろ)を建てて供養(くよう)したと。

どんと はらい。

15
6月

白馬岳の魔神

白馬岳のふもと・小谷村に豪壮な長者がいた。この家には、たまきというたいそう美しい娘がいた。

たまきが年頃になると、多数の男がたまきを嫁にと尋ねるが、けちで有名だった長者は首を縦に振らない。

時には、人間に化けた動物がたまきの美しさをのぞき込む事もあった。

春の時期にたまきは、一人の若者と人目を偲ぶようになっており、いつしか深い恋に落ちるようになっていました。

若者は、辺りに夕もやが広がると何処からともなく現れるのだが、

不思議な事に、自分の素性を言う事はなかった。

そして二人の仲が長者の耳に入り、別れないと若者を成敗すると、たまきは激しく怒られる。

「わたしはもうあなたとは会えなくなるのです。どうかわかってください。」

とたまきは涙ながらに若者に涙ながらに訴えますが、若者は納得せず急に化け物に姿を変える。

逃げるたまきを追い詰めたその時、化け物は猟銃で撃たれる。

猟師・げんじが間一髪で救ったのだった。長者は娘を助けたげんじを、たまきと結婚させる。

しかし祝いの席に化け物が乱入し、黒雲に乗って白馬岳山頂めがけ、たまきを連れ去って行った。

村人は総出で、夜通し山の中を探したが、たまきはついに見つからなかった。

夜が明けると、山のさくら草が白から赤に染まっていた。村人たちの噂では、飛び散ったたまきの血で赤く染まったのだと言われています。

以来、白馬岳のさくら草は真っ赤に咲くと言われている。

 

15
6月

31 川苔山

KAWANORIYAMA 1363m イチリンソウ

15
6月

浅間嶺[57]

SENGENREI 檜原村

13
6月

四阿山[50・36]

日本百名山 四阿山
2354m

日本百名山2354m

2354m
100 FAMOUS JAPANESE MOUNTAINS
日本百名山

根子岳 2207m
四阿山 2354m

2354m シャクナゲ

13
6月

21 御林山


9
6月

65 御岳山

Mt.MITAKE


9
6月

15 大岳山


イワウチワ


9
6月

69 月夜見山

69 月夜見山

69 月夜見山

69 月夜見山

 

9
6月

43 御前山

GOZENYAMA 奥多摩湖

9
6月

24 上高岩山

上高岩山

上高岩山

9
6月

20 奥の院

奥の院 1077m シロヤシオ