3
8月

登山家に愛されるEdelweiss

登山家はある日、地上に舞い降りた天使に恋をしてしまいました。しかし、この恋が叶わないことに苦しみ、天に向かって「この苦しみから救ってほしい」とお願いをします。

すると天使はエーデルワイスの花を地上に残し、天に帰っていった。

 

 

英名:Edelweiss
分類:キク科 ウスユキソウ属
学名:Leontopodium alpinum
別名:セイヨウウスユキソウ(西洋薄雪草)
誕生花:2/13、2/19、5/1、5/3、5/8、6/19、8/18
花言葉:高貴、崇高、初恋、思い出、初恋の感動、尊い記憶、勇気、大切な思い出、忍耐

名はドイツ語の edel(高貴な、気高い)と weiß(白)に由来する。

高度2000-2900mの高山帯の石灰岩地を好む。毒性はないのだが、古くから消化器及び呼吸器疾患に対する処方薬として民間療法で使用されてきた。

16
6月

『黒牛と熊』

くろべことくま『黒牛と熊』

― 岩手県 ―
むかし、あるところにひとりの男がおって闘牛(とうぎゅう)を飼(か)っていたと。
黒牛(くろべこ)の、すばらしい闘牛だと。角(つの)は人の腕(うで)よりも太く、歩く姿はまるで黒い大岩(おおいわ)が動き出したようだ。角あわせをしても、一度も負けたことがない。
名前をクロとつけて自慢の種だったと。
ある年の角あわせの日、クロに組み合わせの知らせが来なかったと。
男は、クロをひいて会場へ行った。世話役(せわやく)さんに、
「俺(おれ)とこに、出てくれという知らせが無いのはどういうこった」
と聞いたら、世話役さんは、
「お前(め)とこのクロはあんまし強いんで、誰も角あわせしたくねえちゅんだ」
という。

 しかたなく男はクロをひいて帰ったと。
牛小屋(うしごや)にいても、闘(たたか)う相手のいないクロは力を持て余しているふうだ。
「すまねぇなクロや。いまにきっとお前の相手になるような牛(べこ)っこを見つけてやっから」
と、毎日いいきかせていたと。
ところがある朝、男が牛小屋に行ってみると、クロの姿が見えない。
あちこち探してみたが見つからない。探しあぐねて牛小屋で待っていたら、しばらくしてクロが帰って来た。
クロはからだじゅう汗にまみれ、目もどんよりとして、今までに見たこともないような疲れ方をしている。
クロは、小屋に入ると、すぐに横になったと。

次の朝、男が起きたときにもうクロはいなかった。戻って来たときには、昨日と同じように疲れきって、ゴロンと横になるのだと。
その次の朝、男はまだ暗いうちに起きてクロが牛小屋を抜け出して行くのを見張り、そっとあとをつけたと。

 クロは山の奥へズンズン分け入って行く。いくがいくがいくと、林に囲(かこ)まれた広場のような草地(くさち)に出た。立ち止ったクロのからだに力がみなぎって、何かに合図するかのように低くないたと。
すると、向いの林の中から、大きな熊がのそりと現(あら)われた。
クロと熊はしばらくにらみ合った。

先にクロが仕掛けた。頭を下げ、激しい勢いで突っかかった。

 熊は仁王立(におうだ)ちになって、前足でクロの頭を叩(たた)きつけたと。
クロはたくみに角で受け止めた。二度三度互いに押しあったが、やがて、そのままの姿勢(しせい)で、どちらも動かなくなった。クロは下から、熊は上から、血走った目でにらみあったまま時が経っていた。
突然、二頭は、サッと左右に別れた。熊はのっそりとからだを振り向けると、林の向こうの繁(しげ)みに入って行き、クロもゆっくり向きを変えて、帰りはじめた。
男は見え隠れにそのあとを追いながら、どうにかしてクロを勝たせたいと思案(しあん)したと。
真夜中に、まだクロが眠むっているうちに角にべっとりと油をぬりつけたと。

次の朝早く、また、クロは出掛けたと。男はあとをつけた。
昨日の広場にはすでに熊が来ていて、クロが広場に着いたとたんに、突進(とっしん)してきて襲(おそ)いかかった。

 クロは首を振って、下から熊をはねあげようとした。これを押えつけようとした熊の前足が、油でぬらりと滑り、角は熊の脇腹(わきばら)に深く突きささった。
たちまち熊ははねあげられ、落ちてくるところを、もう一度角を突き立てられて、死んだと。
男は踊りあがって喜び、クロのところへ走り寄った。
ところが、クロはうつろに遠い山の空を見ているだけだった。
牛小屋に帰ったクロは、それから何も食(く)わなくなり、次第にやせほそっていったと。
そうして、骨と皮ばかりになった頃、牛小屋から姿を消し、あの山奥の広場の熊の死骸(しがい)に寄り添って息絶えたと。
男は、クロの角に油を塗ったことを悔(く)いた。
そして、クロと熊の亡きがらをていねいに葬(ほうむ)り、そこに社(やしろ)を建てて供養(くよう)したと。

どんと はらい。

15
6月

白馬岳の魔神

白馬岳のふもと・小谷村に豪壮な長者がいた。この家には、たまきというたいそう美しい娘がいた。

たまきが年頃になると、多数の男がたまきを嫁にと尋ねるが、けちで有名だった長者は首を縦に振らない。

時には、人間に化けた動物がたまきの美しさをのぞき込む事もあった。

春の時期にたまきは、一人の若者と人目を偲ぶようになっており、いつしか深い恋に落ちるようになっていました。

若者は、辺りに夕もやが広がると何処からともなく現れるのだが、

不思議な事に、自分の素性を言う事はなかった。

そして二人の仲が長者の耳に入り、別れないと若者を成敗すると、たまきは激しく怒られる。

「わたしはもうあなたとは会えなくなるのです。どうかわかってください。」

とたまきは涙ながらに若者に涙ながらに訴えますが、若者は納得せず急に化け物に姿を変える。

逃げるたまきを追い詰めたその時、化け物は猟銃で撃たれる。

猟師・げんじが間一髪で救ったのだった。長者は娘を助けたげんじを、たまきと結婚させる。

しかし祝いの席に化け物が乱入し、黒雲に乗って白馬岳山頂めがけ、たまきを連れ去って行った。

村人は総出で、夜通し山の中を探したが、たまきはついに見つからなかった。

夜が明けると、山のさくら草が白から赤に染まっていた。村人たちの噂では、飛び散ったたまきの血で赤く染まったのだと言われています。

以来、白馬岳のさくら草は真っ赤に咲くと言われている。

 

10
3月

RISK

挑戦的な行為に伴う損害の可能性=RISK

目的に対する不確かさの影響(ISO31000)。よって、たまたま生じるものではない。

管理された状態が良ければ不確かさも減る。

未管理(自然・山)になればその不確実性は増大する。

17
2月

George Mallory

ジョージマロリーは1924年に行方不明になり、誰もが彼の体を見つけるのに75年かかりました。

Dave Hahn/ Getty Images The remains of George Mallory as they were found on Mount Everest in 1999.

1999年5月1日、コンラッド・アンカー(Conrad Anker)は、山の北側の斜面にある大きくて平らな白い岩に気づきました。よく調べてみると、彼は自分が岩を見ているのではなく、ジョージ・マロリーの裸の背中を見ていることに気づきました。時間は彼の衣服のほとんどを劣化させました、しかし覆われていた彼の体の部分はまだよく保存されていました。

 

 

【遥なる未踏峰/ジェフリー・アーチャー】より

たとえその道は死へも繋がるものだとしても、人として生まれたからには、自ら信ずるところのものを、時には命を賭けてでも成し遂げねばならない。

16
2月

『ホーリーから、人生のちょっとしたアドバイス』

手術後、多くの迷いを感じていた時にこの手紙のことを知りました。

2019年1月4日(木)の早朝に、オーストラリアの27歳の女性がガンで亡くなりました。
彼女が亡くなる前に残した手紙を、ご遺族の方がFacebookに公開し、
一週間で13.4万件のいいね、2万4000件のコメント
そして約10万件のシェアがされています。
いいね、コメント、シェア数などどうでも良いことです。

彼女の書いたこの手紙に私は心おうばわれ、動くこともできまくなりました。

そして、【自分自身を大切にした行動】がなにより幸福な生き方だ気づかされました。

『ホーリーから、人生のちょっとしたアドバイス』

26歳という若さで、死と向き合い始めるというのは少し珍しいことかもしれません。
なぜなら、多くの人はこのことに目を背けて生きているからです。
毎日は当たり前のように過ぎていきます、まるでそれがずっと続くかのように。
私もいつか歳を重ね、シワができ、白髪になることを想像していました。
他の多くの人がそう考えるように、たくさんの子どもに囲まれ
愛に溢れた家庭を築くことをいつも考えていました。
しかし人生は儚く、貴重で、予想できないものです。
毎日を生きることは、与えられた権利ではなく贈り物なのです。
私は27歳です。
まだこの人生を終わらせたくない。
私は自分の人生を愛していて、とても幸せなのです。
でも、もう私にはコントロールすることはできません。
私はただみんなに、些細で意味のないようなことにあまり心配しないで欲しいのです。
そして覚えておいて下さい。
最後にはみんな同じ運命が待っているということを。
なのであなたの時間を、価値のある素晴らしいと感じることに使って欲しいのです。
嫌だと思うことはしなくていいのです。
些細なことには寛大でいてください。
もちろんイライラすることはあると思いますが、引きずらないでください。
そのようなことで、周り人々の人生に悪い影響を与えないようにしてください。
イライラしてしまう時は外に出て深呼吸をして、新鮮なオーストラリアの空気を
胸いっぱいに吸い込んで下さい。
そして空の青さを、木々の緑を見てください。それらはとても美しいものです。
考えてみてください。
呼吸ができること、その素晴らしさを。
もしかしたら今日、渋滞につかまってしまったかもしれませんね。
あなたの愛おしい赤ちゃんが泣きわめくせいで、よく眠れなかったかもしれません。
美容師があなたの髪を短く切りすぎたかもしれないし
変えたばかりのネイルが欠けていたかもしれません。
自分の容姿が気に入らない人もいるかもしれません。
しかしそれらのことは些細なことです。
あなたが人生の終わりを迎える時、そんなことは考えないと断言できます。
人生全体で見れば、これらのことは本当にどうでもいいことです。
私の身体は日を追うごとに、どんどん痩せ細っていきますが
私の願いは、もう一度だけ家族と誕生日を過ごしたい
もう一度だけクリスマスを迎えたい
もう一度だけパートナーと過ごしたい
それだけです。
たったもう一度だけでいいから。
仕事がどれだけ大変だったか、エクササイズがどれだけハードだったかなどの
不満を訴える人がいますが、まずは身体が満足に動くことに感謝してください。
たとえ理想の体型でなかったとしても、健康でいられること
身体が機能すること、それだけで素晴らしいことなのです。
食べ過ぎに注意して、適度に運動をし、新鮮な食事で十分な栄養を与えてください。
そして、お互いを助け合いましょう。
与えて、与えて、与えるのです。
他者に与えることで得られる幸せは、この上ないものです。
私ももっとそれをしたかった。
病気になってから、多くの人が私をサポートしてくれました。
とても返しきれるものではありません。
そのことを私は一生忘れないでしょう。
あなたが死ぬときにお金を持っていてもなんの意味もありません。
自分の服を買う代わりに、誰かのためにそのお金を使いましょう。
あなたが同じ服を着ていても、誰も気にしません。
何より大切な人を食事に連れていったり、贈り物をすることは気持ちの良いことです。
その際に、大切に想っているという気持ちを伝えましょう。
自分のためにお金を使う際は、モノではなく経験に使いましょう。
ビーチに行って足を水につけ、つま先で砂を掘り、顔を海水につけてください。
自然を感じてください。
携帯の画面ばかり見るのではなく、ただその瞬間を楽しむようにしてください。
人生とは画面を通して生きることではないし、完璧な写真を撮ることでもありません。
大切な人との血の通う時間を大切にしてください。
早起きをして、鳥のさえずりに耳をすまし、朝日の美しい色を眺めるのです。
音楽を聴いてください。音楽はセラピーです。
犬を抱きしめてください。
携帯を置いて、友達と話をしましょう。
旅をしたいならしましょう。
生きるために働いてください、働くために生きてはいけません。
心が幸せに感じることをしてください。
ケーキだって食べていいのです。何の罪悪感もありません。
やりたくないことには、やりたくないと言いましょう。
他の人が考える理想の人生にプレッシャーを感じなくても大丈夫です。
平凡な人生を望んでも全く構いません。
愛する人に、毎日愛を込めて、愛していると伝えましょう。
そして覚えていてください。
もし何かが、あなたを惨めな気持ちにさせているなら
ーそれが仕事や恋愛など何であれ
あなたにはそれを変える力があります。
変える勇気をもって下さい。
この地球であとどれくらい生きられるか分からないのだから
そのようなことで時間を無駄にしてはいけません。
多くの人が同じことを言っていますが、これ以上の真実はないと思います。
とにかく、これは一人の若い女性からの人生のアドバイスです。
覚えていてくれても、忘れても、私は構いません。
あと最後に一つだけ、もし可能なら定期的に献血をしてください。
見過ごされがちだけど、一回の献血で3人の命が救えるのです。
これはすべての人が持つとても偉大な力です。
献血のおかげで、私は一年間も長く生きることができました。
大切な人たちと過ごすことができたこの一年間を、私は一生忘れません。
それは、私の人生で最も素晴らしい一年でした。
それでは、また会う日まで。
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27
1月

尾崎喜八【山の絵本】より

思い出を残して歩け。

全ての場所について一つひとつの回想を持つがいい。

それは他人から奪い取ることなしにお前が富む唯一の方法なのだ。

冬の都会の意地悪い夜々に、

それは忽ち(たちまち)至福の光を纏ってお前のに現れ、

悲しい落魄(らくはく)の時に、

優しかった母や姉らのように、

お前の傍らへ来て、

過ぎ去った日の数々の幸福でお前の心を暖めるだろう。