八幡神社(道野辺八幡宮)


【社 格】
【所在地】千葉県鎌ケ谷市道野辺中央五丁目6-10
【電 話】047-446-0820
【主祭神】誉田別尊(ほんだわけのみこと)
【境内社】天満宮
     御食津(みけつ)神社
     少彦名命(すくなひこなのみこと)神社
     他
【御由緒】社伝によれば、下総を征服した平将門が中沢城[1]を築く際に、城の鬼門にあたる現鎮座地に、弓矢兵馬の守護神として鎮祭したのに創まるという。
【例祭日】春祭(5月5日)
秋祭(10月15日)
【H P】http://www.hachiman-gu.com

松戸神社

【社 格】村社
【所在地】千葉県松戸市松戸1457
【電 話】047-362-3544
【主祭神】日本武尊
【境内社】秋葉神社
水神社
金毘羅社
三峰社
八幡社
松尾社
浅間社
庚申社
稲荷社
厳島社
【御由緒】
社殿は寛永3年(1626年)の創建とされ、神仏習合思想の影響で『御嶽大権現』と称していた。
慶長14年(1609年)、水戸城に水戸徳川家が封ぜられると、江戸と水戸とを往来する水戸街道が整備され、松戸宿が宿場町として賑わった。境内地の近隣には陣屋も置かれていたため、水戸徳川家より篤い崇拝を受けた。この地を徳川光圀が鷹狩に訪れた際、御神木である大銀杏に止まっている白鳥へ鷹を放とうとするも鷹は微動だにしない。憤慨した光圀が矢を放とうとしたところ、弓矢が中央から折れてしまい、光圀は折れた弓矢を奉納して神前に鎮謝したとする伝承が残る。
水戸徳川家所縁の品々も多数奉納されたと伝わるが、元文4年(1739年)の松戸宿の大火にて社殿及び奉納品も焼失する。
1882年(明治15年)、社号を『松戸神社』へと改称して有栖川宮幟仁親王より社号の書を授かる。2006年(平成18年)には三笠宮崇仁親王が参拝し、高野槙を植樹した。
【例祭日】10月18日
【H P】www.matsudojinja.com


千葉天神

【社 格】千葉神社摂社
【所在地】千葉市中央区院内一丁目16番1号
【電 話】043-224-2211
【主祭神】菅原道真公
【御由緒】平安末期・寿永元年(1182年)9月25日、千葉神社境内に勧請された学問の神様・菅原道真公を御祭神とする御社です。千葉県内最大の天神様であり、御本社・千葉神社の御祭神・妙見尊の御神力も同時にいただけるとされることから、 その神紋・月星に由来しての“ツキ(月)を呼び、勝(星)を拾う”という縁起の良さが広く知れ渡るところとなり、 年々参拝者・祈祷者が増加しています。
平成2年の『平成の大造営』において新社殿を造営する際、昭和29年再建の旧本殿は西側に移築して天神様の祈祷殿とし、 増加する受験合格祈願の方々のための御祈願を専一に執り行うこととなりました。。
【H P】http://www.chibajinja.com

千葉神社

【社 格】県社
【所在地】千葉市中央区院内一丁目16番1号
【電 話】043-224-2211
【主祭神】
北辰妙見尊星王(=天之御中主大神)
【相 殿】経津主命(ふつぬしのみこと)
日本武尊命(やまとたけるのみこと)
【境内社】千葉天神
【兼務社】
【御由緒】通称『妙見様(みょうけんさま)』とも呼ばれる主祭神・北辰妙見尊星王(ほくしんみょうけんそんじょうおう)は、天の中央を定位とする北辰(つまり北極星と北斗七星)の御神霊であり、諸星諸神・方位方角を支配する尊い星の王であると讃称されており、 その絶大なる霊力を人間界に投射することにより、人間の星(=人間の運命)や全ての方位を守護・掌握する神様であると古来より伝えられております。
古事記の冒頭に 「天地初めて開けし時に成りませる神の名は天之御中主神」とあることから、天の中心に位置される北辰妙見尊星王と天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)とは同一の神様であると考えられています。
この北辰妙見尊星王は道教・陰陽道や易学・九星気学・風水学の根幹となる特殊神であり、あらゆる守護能力を発揮する神様として、庶民間に広く尊崇されております。
【例祭日】8月16日から1週間 妙見大祭
【H P】http://www.chibajinja.com

玉崎神社

玉崎神社

 

【社 格】郷社 二の宮
【所在地】千葉県旭市飯岡2126-1
【電 話】0479-57-2278
【主祭神】玉依姫尊
【相 殿】日本武尊
【境内社】
【兼務社】
【御由緒】当神社の御創祀は、景行天皇紀の40年(西暦111年)、景行天皇の皇子、日本武尊が東夷征討の砌、相模より上総にお渡りになろうとして海難に遭われた際、御后弟橘姫命が「これは海神の御心に違いない」といって入水されたことで、無事、上総の国につくことができ、更に、海路葦の浦より下総玉の浦にお渡りになられた。そこで尊はその霊異を畏まれ、海上平安・夷賊鎮定のために玉の浦の東端「玉ケ崎」に海神玉依毘売命の神霊を斎き奉るによる。後世、「玉ケ崎」を「竜王岬」と言うようになったのは、海神を竜宮の神に付会して、竜王の鎮まり坐す崎と言うようになったものである。
中世には下総國二之宮・玉の浦総社と称され、武門武将の崇敬厚く、平貞盛・源頼朝・千葉常胤等が参拝され、それぞれ祈願や奉賽のために奉幣や社殿の造営にかかわられた。しかし、竜王岬の欠損がはなはだしく、加えて、天文2年に兵火にかかって社殿は烏有に帰したので、現今の地に御遷座申し上げた。
江戸時代に入って、上総國一宮(玉前神社)とともに九十九里浜を鎮護する神社として広く崇められ、佐倉藩主堀田氏・久留里藩主黒田氏等武人の崇敬はもとより、平田篤胤・平田銕胤・大国隆正等の文人が参詣している。この頃の飯岡は、九十九里の代表的な漁場として隆盛を極め、相模・三河・紀伊・伊予・阿波・和泉・安芸等の国々よりの移住者も多く、天保水滸伝に名高い飯岡助五郎もこの地に渡って社領地に住み、当神社の潮祭には一党を引き連れ参拝し、奉納角力を執行した。
近年には、画家竹久夢二等も参詣し、「飯岡の明神様」として御神威赫々たるものがある。
【例祭日】旧暦の4月1日
【H P】http://www.geocities.jp/tamasakijinja/

猿田神社

猿田神社


【社 格】無格社
【所在地】銚子市猿田1675-21
【電 話】
【主祭神】猿田彦大神・天鈿女命・菊理媛命
【相 殿】
【境内社】
【兼務社】
【御由緒】社伝によれば、垂仁天皇25年11月25日の創建とされ、神功皇后の御世に生田神社の摂社になったという。大同2年(807年)に社殿を造営、康平年間(1058年~1065年)には源頼義が神田を寄進し、鎌倉時代以降も武家の信仰が篤く源頼朝も寄進したと伝えられ、足利晴氏は金印を奉納をし当時のものという印が現存する。

永禄9年(1566年)海上氏と安房正木氏との合戦で社殿を焼失、元亀年間に再建するも天正元年(1573年)にふたたび焼失、翌天正2年(1574年)に再建し、現本殿は延宝8年(1680年)に改築されたものである。なお、天正19年(1591年)には徳川家康も朱印地30石を寄進した。
庚申の年(60年ごと)に式年大祭神幸祭がある。

昭和49年3月19日 県指定天然記念物
猿田神社は神護景雲2年(768)に、称徳天皇から神戸を寄進されたと伝わる古社で、源頼義、義家、頼朝や足利氏、千葉氏などの崇敬が篤く、神領や宝物が寄進されてる。
猿田神社の森は県指定有形文化財である猿田神社の社叢林として大切にされてきた。林は、社殿南側のスダジイが優占する林と、東側のスダジイとアカガシが優占する林に大別される。社殿南側のスダジイ林は、高木層がスダジイによりほぼ占められており、亜高木層にヒサカキ、ヤブツバキ、ヤブニッケイが、低木層にはヒサカキ、ネズミモチ、スダジイ、ヤブツバキ、ヤブニッケイが見られる。社殿東側の林では、高木層にはスダジイ、アカガシ、モチノキが混交し、亜高木層を占める樹種は多様である。
両林とも林床にスダジイの幼樹が多く生えており、今後ともスダジイ林として持続してゆく可能性が高い。海岸や利根川沿いの斜面などを中心にタブノキ林が多くみられる海匝地域だが、猿田神社の森はその中にある典型的なスダジイ林として、学術的に価値のある森林である。

【例祭日】11月15日
【H P】