柳森神社

【社 格】
【所在地】〒101-0041 東京都千代田区神田須田町2-25-1
【電 話】03-3251-6422
【主祭神】倉稲魂大神(くらいなたまのおおかみ)
他七柱
【相 殿】
【境内社】
【兼務社】
【御由緒】室町時代、太田道灌公が江戸城の鬼門除けとして、多くの柳をこの地に植え、京都の伏見稲荷を勧請したことに由来する神社である。また、おたぬき様と呼ばれる親子狸のお守は、勝負事や立身出世、金運向上にご利益があると信奉されている。
【例祭日】5月15日前後の土曜・日曜
【H P】

築土神社

【社 格】
【所在地】〒102-0073 東京都千代田区九段北1-14-21
【電 話】03-3261-3365
【主祭神】天津彦火瓊々杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)
平将門之霊(たいらのまさかどのれい)
【相 殿】
【境内社】
【兼務社】
【御由緒】天慶三年(940年)江戸城内豊島郡上平川村に創祀され、津久戸明神と称したのが始まりで、その後社名の改称、新宿区牛込その他の地に変遷後現在地に鎮座。
【例祭日】9月15日
【H P】

平河天満宮

【社 格】
【所在地】〒102-0093 東京都千代田区平河町1-7-5
【電 話】03-3264-3365
【主祭神】菅原道真公(すがわらのみちざねこう)
誉田別命(ほんだわけのみこと)
徳川家康公(とくがわいえやすこう)
【相 殿】
【境内社】
【兼務社】
【御由緒】江戸平河城主太田道灌公が、菅原道真公の霊夢を見て、文明十年城内に天満宮を建立した。その後、徳川家康公が築城のため本社を平河門外に奉遷し、慶長十二年二代将軍秀忠公に依り、現在の地に奉遷され地名を本社に因み平河町と名付けられた。
【例祭日】4月25日
【H P】

東京大神宮

【社 格】
【所在地】〒102-0071 東京都千代田区富士見2-4-1
【電 話】03-3262-3566
【主祭神】天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
豊受大神(とようけのおおかみ)
【造化の三神】
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
高御産巣日神(たかみむすびのかみ)
神産巣日神(かみむすびのかみ)
倭比賣命(やまとひめのみこと)
【相 殿】
【境内社】
【兼務社】
【御由緒】明治天皇の勅裁を仰ぎ、明治十三年に創建。伊勢神宮のご分社的な格式を有しており、ご神徳は広大無辺。神前結婚式創始の神社でもある。
【例祭日】4月17日
【H P】http://www.tokyodaijingu.or.jp/

三崎稲荷神社

三崎稲荷神社

【社 格】
【所在地】東京都千代田区三崎町2-9-12
【電 話】03-3261-1849
【主祭神】宇迦之御魂神、素盞嗚尊、大市姫神、大物主神
【相 殿】
【境内社】
【兼務社】
【御由緒】最初の鎮座地は現本郷一丁目の丘陵海浜の地、年代は寿永元年(一一八二)、武蔵国豊島郡三崎村総鎮守として創祀せられたと推定される。慶長八年(一六〇三)二月、徳川家康、潮大地埋立て工事のため、当社地を西三丁に奉遷、万治二年(一六五九)江戸城外濠神田川筋の堀割り工事のため、社殿を東南、現三崎町二丁目北部の地に奉遷、万延元年(一八六〇)幕府講武所開設のため、旧水道橋西ぎわに奉遷、明治三十八年現在地に奉遷。
【例祭日】5月9日
【H P】

三崎稲荷神社

神田神社


【社 格】旧准勅祭社・旧府社・別表神社・東京十社
【所在地】東京都千代田区外神田2丁目16番2号
【電 話】
【主祭神】大己貴命
少彦名命
平将門命
【相 殿】
【境内社】江戸神社
ご祭神 – 建速須佐之男命 祭礼日 – 5月14日
祖霊社
神田明神を尊崇なさった氏子・崇敬者の先祖をお祀りするお社。
合祀殿
平成24年に旧・籠祖神社社地に建立。
末廣稲荷神社
ご祭神 – 宇迦之御魂神 祭礼日 – 3月午の日
三宿・金刀比羅神社三宿神社
ご祭神 – 宇迦之御魂神 祭礼日 – 10月初旬
金刀比羅神社ご祭神 – 大物主神、金山彦命、天御中主命 祭礼日 – 10月10日
浦安稲荷神社
ご祭神 – 宇迦之御魂神 祭礼日 – 3月午の日
大伝馬町八雲神社
ご祭神 – 建速須佐之男命 祭礼日 – 6月5日
小舟町八雲神社
ご祭神 – 建速須佐之男命 祭礼日 – 6月6日
水神社(魚河岸水神社)
ご祭神 – 弥都波能売命 祭礼日 – 5月5日
【兼務社】
【御由緒】
【例祭日】5月15日ごろ(神田祭)
【H P】http://www.kandamyoujin.or.jp

山王日枝神社

山王日枝神社

【社 格】准勅祭社(東京十社)、官幣大社
【所在地】東京都千代田区永田町2丁目10番5号
【電 話】03-3581-2471
【主祭神】大山咋神(おほやまくひのかみ)
【相 殿】国常立神(くにのとこたちのかみ)
伊弉冉神(いざなみのかみ)
足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)
【境内社】
【摂社】日本橋茅場町摂社日枝神社
【御由緒】
当社は武蔵野開拓の祖神・江戸の郷の守護神として江戸氏が山王宮を祀り、さらに文明10年(1478)太田道灌公が江戸の地を相して築城するにあたり、鎮護の神として川越山王社を勧請し、神威赫赫として江戸の町の繁栄の礎を築きました。やがて天正18年(1590)徳川家康公が江戸に移封され、江戸城を居城とするに至って「城内鎮守の社」「徳川歴朝の産神」として、又江戸市民からは「江戸郷の総氏神」「江戸の産神」として崇敬されました。
二代秀忠の時の江戸城大改造の際、城内紅葉山より新たに社地を江戸城外に定め、社殿を新築して遷祀されました。世に元山王と称する地は今の隼町国立劇場附近です。この時から別当神主を定め、神社の規模は広大に整い、広く一般衆庶も参拝し得る道を開きましたが、明暦3年(1657)の大火に社殿炎上の災に遇いました。時の将軍家綱は直ちに赤坂の溜池を望む松平忠房の邸地を官収して社地に充て、結構善美を尽くした権現造の社殿を造営・遷祀して、天下奉平、万民和楽の都を守護する祈願所として崇敬しました。
明治元年東京奠都と共に勅使奉幣が行われ、御西下御東幸に際しては御途中御安全の御祈祷を修せしめられ、明治2年7月天下水患にあたり勅使祈晴の御事があり、宮妃御懐妊の際は御安産の御祈祷を修せられ、皇室典範帝国憲法の制定を始めとして開戦及び平和回復等の重大事に際しては、常に勅使参向御奉告が行われ、畏くも大正天皇儲宮にまします時、御参拝があり、
明治天皇は御愛蔵の御太刀一振(長光)を御進献あそばされました。
萬治2年御造営の社殿は、江戸初期権現造の代表的建物として国宝に指定されていました。昭和20年5月戦禍に遭い、末社山王稲荷神社を残し悉く烏有に帰しましたが、氏子崇敬者の赤誠奉仕により「昭和御造営」の画期的な大事業が企画され、昭和33年6月本殿遷座祭齋行、引き続き神門・廻廊・参集殿が逐次完成、更に末社改築、摂社の大修築、神庫校倉の改造等を相次いで行ない、全都をあげて之を慶賀し、昭和42年6月奉祝祭が先ず齋行され、この間、昭和33年6月現社地御鎮座三百年祭を齋行し、ここに昭和24年復興後援会発足以来10年に亘る歳月を以て、山王台上に再び大社の偉容を拝するに至りました。
昭和52年7月江戸城御鎮座五百年奉賛会が結成され、昭和53年6月500年を祝する式年大祭を厳修し、昔をしのぶ天下祭にふさわしい山王神幸祭の復元、尚記念事業として、「日枝神社史」の刊行「宝物殿」の建築、本殿以下社殿の修繕、境内整備等が実施されました。
【例祭日】6月15日(山王祭)
【H P】http://www.hiejinja.net/