草加神社

【社 格】
【所在地】〒340-0034 埼玉県草加市氷川町2118−2
【電 話】048-925-2901
【主祭神】
【相 殿】
【境内社】
【兼務社】
【御由緒】
【例祭日】
【H P】sokajinja.jp


佐間天満社

【社 格】
【所在地】行田市佐間1-10-6
【電 話】
【主祭神】菅原道真公
【相 殿】
【境内社】
【本務社】行田八庵神社
【御由緒】佐間天神社神門は安政3年の大火で類焼したが、ここで火が止まったため、「火防の門」と呼ばれています。尚、境内のけやき群は行田市文化財に指定されています。
【例祭日】9月25日
【H P】

高城神社

【社 格】延喜式式内社、県社
【所在地】埼玉県熊谷市宮町2丁目93
【電 話】048-522-1985
【主祭神】高皇産霊尊
【相 殿】
【境内社】熊野神社
天神社(末社)
白山大神
琴平大神
八幡大神
大国主大神
鹿島大神
香取大神
伊奈利大神
【兼務社】
【御由緒】
延喜式神名帳に、武蔵国大里郡高城神社と掲る者にして、祭神は高皇産霊尊なりと云。元は社地の内北の方なる御蔵屋敷と云処にありしが、寛文11年新に宮社を造りて、今の地に移し祀ると云。末社。天神、稲荷。神楽堂。霊水。神木榎の側んる池なり。眼病を患るもの此水にて洗へば、立所に平癒せるとて、目洗水と号す。社宝。麾一。軍配二。鏃一、柳葉の形にて、銘に奉寄進高城大明神国重と鐫る。以上阿部豊後守忠秋の寄附する処なり。鉾一、貞享3年阿部志摩守正明、奉納の由を銘す。刀一、天文18年戌3月吉日、廣国作と銘あり。寄附人の名を傳へず。天国刀、寛延妙玄龍と云僧の寄附せしなり。天国寶刀記と云添状あり。其略に、余太曽祖村山次郎入道清久、当武州八王子の北に居城し、家世店国寶刀を蔵す。清久没し子清武の時、羽生城に依り居こと数年の後、寇兵の為に戦死す。二子あり。長は其名を失ひ、次を清昌と云、城の陥に及て、長男は家譜由緒を収て去て、清昌は此太刀を蔵して熊谷驛に隠棲し、其子清春、清春の子清次は、乃余が父なり。余出家して世嗣を絶しを以て、寶刀を高城大明神に奉る云々と載たり。神主福井喜太夫、吉田家の配下なり。別当石上寺。社地には住せず、宿の南にあるを以て、別に末に出す。
【例祭日】秋祭10月1・2・3日
春祭4月10日
酉の市12月8日
大祓6月30日
【H P】

行田八幡神社

【社 格】
【所在地】埼玉県行田市行田16-23
【電 話】048(554)5926
【主祭神】誉田別尊(ほむだわけのみこと)
気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)
比売大神(ひめのおおかみ)
大物主神(おおものぬしのかみ)
神素盞鳴尊(かむすさのおのみこと)
【相 殿】
【境内社】大国主神社 大国主神(おおくにぬしのかみ)
恵比寿神社 事代主神(ことしろぬしのかみ)
愛宕神社 軻遇突智命(かぐつちのみこと)
瘡守稲荷社 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
目の神社 味鋤高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)
八坂社
三峰社
水神社
【兼務社】
佐間天神社 行田市佐間1-10-6 例祭日 9月25日
春日神社  行田市谷郷395 例祭日 8月19日
愛宕神社 行田市行田24-21 例祭日 10月24日
愛宕社 行田市行田1-1 例祭日 10月24日
前谷天神社 行田市前谷1425 例祭日 8月25日
伊奈利神社 行田市利田587 例祭日 9月4日
熊野神社 行田市須加4533 例祭日 7月15日
治子神社 行田市下中条1655 例祭日 7月28日
久伊豆神社 行田市小見935 例祭日 10月15日
五所神社 行田市白川戸496 例祭日 8月23日
八坂神社 行田市下須戸1375付近 例祭日 7月第2土日曜日
関根神社 行田市関根365 例祭日 4月15日
久伊豆神社 行田市真名板1312 例祭日 10月15日
御嶽神社 行田市下須戸2727 例祭日 9月十五夜の日
剣神社 行田市持田5937 例祭日 8月19日
諏訪神社 行田市持田6035 例祭日 8月19日
天神社(竹之花) 行田市持田5994 例祭日 8月19日
大宮神社 行田市持田6516 例祭日 9月5日
勝呂神社 行田市若小玉2630 例祭日 9月20日
天神社(相之道) 行田市城南14付近 例祭日 1月24日
鷺栖神社 鴻巣市広田3814 例祭日 10月15日
久伊豆神社 鴻巣市北根1282 例祭日 10月24日
赤城神社 鴻巣市赤城714 例祭日 10月15日
住吉神社 羽生市上新郷1379-1 例祭日 10月15日
浅間神社 羽生市上新郷4701 例祭日 10月15日
長良神社 羽生市弥勒1543 例祭日 7月20日
稲荷神社 羽生市与兵衛新田260 例祭日 9月1日
大物忌神社 羽生市下新田1314 例祭日 7月15日
天神社 加須市阿良川240 例祭日 1月25日
諏訪神社 加須市串作854 例祭日 8月27日

【御由緒】元和・宝永・弘化の年間における行田町大火の際、再三の類焼の災禍に会い、旧記重宝等を焼失して御創祀の次第は判然と致しませんが、口碑によると源頼義・義家が、奥州討伐のためこの地に滞陣した折、戦勝を祈願して勧請されたと伝えられています。
当初、佐間村田中に鎮座、俗に田中(でんちゅう)八幡と称せられました。
天文年中に、現在の地に移されこの時、忍城主成田下総守長泰公は深く当社を崇敬して社殿を修補し城下総鎮守といたしました。是れより、「城主八幡」また社殿の向きから.「西向き八幡」の名があります。
爾来、代々城主の尊崇篤く殊に阿部豊後守は、八幡大神の御神像を奉献し、次いで阿部正識(まさつね)公も自筆の額を御献進されました。
社殿の造営は、元和五年再営ののちに宝永年間に焼失、宝永四年に再建、宝永五年には幣殿・拝殿を再建しております。弘化三年行田大火により社殿全焼の時、町全体が焼失し、氏子による社の再営が不可能となり祀職家にて同年本殿を再建いたしました。
現在の社殿は、皇紀二千六百五十年を記念して造営が進められ、平成元年十一月の竣功であります。次いで平成十二年には参集殿が竣功いたしました。
【例祭日】
【H P】www.gyodahachiman.jp/

小松神社

【社 格】郷社
【所在地】羽生市小松280
【電 話】048-561-3543
【主祭神】伊弉諾命
伊弉冉命
小松大明神(小松内府,平重盛公)
【相 殿】
【境内社】
【兼務社】
【御由緒】今を遡り、景行天皇の代(55年)日本武尊が東征の途次小祠を建立し、伊弉諾命・伊弉冉命に二柱を祀ったと言われ、承安年間(1171〜75)の小松内府・平重盛が没し埋葬地の目印に銀杏が植えられ、脇に小松大明神として祀られ、この時代に社殿が創建されたと伝えられている。
天文5年(1536年)に、羽生城主・木戸忠朝と館林城主・広田直繁が奉納した「三宝荒神」が鎮座している。
慶安元年(1648年)羽生領72町ヶ村の総鎮守となり、家内安全、商売繁盛、交通安全祈願まで多くの氏子から崇められている。
【例祭日】7月15日夏季例祭
7月31日大祓祭(輪くぐり)
11月23日献穀祭
【H P】

鷲宮神社

鷲宮神社

【社 格】准勅祭社・県社・別表神社
【所在地】埼玉県久喜市鷲宮1丁目6番1号
【電 話】
【主祭神】天穂日命
武夷鳥命
大己貴命
【合祀祭神】建御名方神(タケミナカタノカミ)
伊邪那美神(イザナミノカミ)
大山祇神(オホヤマヅミノカミ)
宇迦之御魂神(ウガノミタマノカミ)
大山咋神(オホヤマグヒノカミ)
天照皇大神(アマテラスオホミカミ)
迦具土神(カグヅチノカミ)
素戔嗚尊(スサノオノミコト)
菅原道真(スガワラノミチザネ)
【御由緒】当神社は、出雲族の草創に係る関東最古といわれる大社である。

神代の昔に、天穂日宮とその御子武夷鳥宮とが、昌彦・昌武父子外二十七人の部族等を率いて神崎神社(大己貴命)を建てて奉祀したのに始まり、次に天穂日宮の御霊徳を崇め、別宮を建てて奉祀した。この別宮が現在の本殿である。
崇神天皇の御世には、太田々根子命が司祭し、豊城入彦命、彦狭島命、御諸別王が、それぞれ幣帛を奉納した。
景行天皇の御世には、日本武尊が当神社の神威を崇め尊み、社殿の造営をし、併せて相殿に武夷鳥宮を奉祀した。
桓武天皇の御世には、征夷大将軍坂上田村麿が、武運長久を祈り奥州鷲の巣に当神社の御分社を奉祀した。
中世以降には、関東の総社また関東鎮護の神として、武将の尊崇が厚く、歴史上有名な武将だけでも藤原秀郷・源義家・源頼朝・源義経・北条時頼・北条貞時・新田義貞・小山義政・足利氏歴代・古河公方・関東管領上杉氏歴代・武田信玄・織田信長・豊臣秀吉・徳川家康等があげられ、武運長久等を祈る幣帛の奉納や神領の寄進、社殿の造営等がなされた。なかでも江戸時代には、四百石の神領を与えられ、代々の将軍の名で朱印状が残されている。
明治天皇の御世には、神祗官達により准勅祭社に定められ、勅使参向のもと幣帛の奉納がなされた。そして明治天皇行幸の際、当神社に御少憩され、祭祀料として金壱封を賜り、昭和天皇の御世にも、幣帛を賜った。
【例祭日】3月28日
【H P】http://www.washinomiyajinja.or.jp/index.html

玉敷神社

玉敷神社

【社 格】式内社(小)・県社
【所在地】埼玉県加須市騎西552
【電 話】0480-73-6022
【主祭神】大己貴命
【相 殿】
【境内社】
【兼務社】
【御由緒】大宝3年(703年)、東山道鎮撫使・多次比真人三宅磨によって創建された。一説には、成務天皇6年(136年)、武蔵国造・兄多毛比命の創建ともいう。延喜式神名帳では「武蔵国埼玉郡 玉敷神社」と記載され、小社に列格している。
元は現在地の北方の埼玉郡正能村(現:加須市正能)に鎮座していた。天正2年(1574年)、上杉謙信が武蔵に出兵した際に兵火にかかり、社殿を焼失した。このとき古文書・社宝等も焼失したため、それ以前の歴史については不詳である。江戸時代に埼玉郡根古屋村(現:加須市根古屋)の騎西城大手門前に再建された後、寛永4年(1627年)ごろに現在地に遷座した。
江戸時代までは「久伊豆大明神」とも称されており、埼玉郡の総鎮守として尊崇されていた。
【例祭日】12月 1日(例 祭)
2月 1日(初春祭)
5月 5日(春季大祭)
7月15日(夏季大祭)
【H P】