鷲宮神社

鷲宮神社

【社 格】准勅祭社・県社・別表神社
【所在地】埼玉県久喜市鷲宮1丁目6番1号
【電 話】
【主祭神】天穂日命
武夷鳥命
大己貴命
【合祀祭神】建御名方神(タケミナカタノカミ)
伊邪那美神(イザナミノカミ)
大山祇神(オホヤマヅミノカミ)
宇迦之御魂神(ウガノミタマノカミ)
大山咋神(オホヤマグヒノカミ)
天照皇大神(アマテラスオホミカミ)
迦具土神(カグヅチノカミ)
素戔嗚尊(スサノオノミコト)
菅原道真(スガワラノミチザネ)
【御由緒】当神社は、出雲族の草創に係る関東最古といわれる大社である。

神代の昔に、天穂日宮とその御子武夷鳥宮とが、昌彦・昌武父子外二十七人の部族等を率いて神崎神社(大己貴命)を建てて奉祀したのに始まり、次に天穂日宮の御霊徳を崇め、別宮を建てて奉祀した。この別宮が現在の本殿である。
崇神天皇の御世には、太田々根子命が司祭し、豊城入彦命、彦狭島命、御諸別王が、それぞれ幣帛を奉納した。
景行天皇の御世には、日本武尊が当神社の神威を崇め尊み、社殿の造営をし、併せて相殿に武夷鳥宮を奉祀した。
桓武天皇の御世には、征夷大将軍坂上田村麿が、武運長久を祈り奥州鷲の巣に当神社の御分社を奉祀した。
中世以降には、関東の総社また関東鎮護の神として、武将の尊崇が厚く、歴史上有名な武将だけでも藤原秀郷・源義家・源頼朝・源義経・北条時頼・北条貞時・新田義貞・小山義政・足利氏歴代・古河公方・関東管領上杉氏歴代・武田信玄・織田信長・豊臣秀吉・徳川家康等があげられ、武運長久等を祈る幣帛の奉納や神領の寄進、社殿の造営等がなされた。なかでも江戸時代には、四百石の神領を与えられ、代々の将軍の名で朱印状が残されている。
明治天皇の御世には、神祗官達により准勅祭社に定められ、勅使参向のもと幣帛の奉納がなされた。そして明治天皇行幸の際、当神社に御少憩され、祭祀料として金壱封を賜り、昭和天皇の御世にも、幣帛を賜った。
【例祭日】3月28日
【H P】http://www.washinomiyajinja.or.jp/index.html

玉敷神社

玉敷神社

【社 格】式内社(小)・県社
【所在地】埼玉県加須市騎西552
【電 話】0480-73-6022
【主祭神】大己貴命
【相 殿】
【境内社】
【兼務社】
【御由緒】大宝3年(703年)、東山道鎮撫使・多次比真人三宅磨によって創建された。一説には、成務天皇6年(136年)、武蔵国造・兄多毛比命の創建ともいう。延喜式神名帳では「武蔵国埼玉郡 玉敷神社」と記載され、小社に列格している。
元は現在地の北方の埼玉郡正能村(現:加須市正能)に鎮座していた。天正2年(1574年)、上杉謙信が武蔵に出兵した際に兵火にかかり、社殿を焼失した。このとき古文書・社宝等も焼失したため、それ以前の歴史については不詳である。江戸時代に埼玉郡根古屋村(現:加須市根古屋)の騎西城大手門前に再建された後、寛永4年(1627年)ごろに現在地に遷座した。
江戸時代までは「久伊豆大明神」とも称されており、埼玉郡の総鎮守として尊崇されていた。
【例祭日】12月 1日(例 祭)
2月 1日(初春祭)
5月 5日(春季大祭)
7月15日(夏季大祭)
【H P】


鴻神社

鴻神社


【社 格】
【所在地】埼玉県鴻巣市本宮町1-9
【電 話】048-542-7293
【主祭神】
氷川社( 祭神 スサノオノミコト )
熊野社( 祭神 ハヤタマノオノミコト )
雷電社( 祭神 ワケイカヅチノミコト )
【境内社】宿神社
幸の宮弁天社
三狐稲荷神社
【御由緒】鴻神社は明治6年にこの地ならびに近くにあった三ヶ所の神社を合祀したもので、もとは鴻三社といわれておりました。
明治40年4月8日に鴻三社から社号を改め『鴻神社』となり、現在に至っております。
鴻神社では、合祀以前の三社で祀られていた神をご祭神としております。
【例祭日】
【H P】koujinja.or.jp