東京大神宮

【社 格】
【所在地】〒102-0071 東京都千代田区富士見2-4-1
【電 話】03-3262-3566
【主祭神】天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
豊受大神(とようけのおおかみ)
【造化の三神】
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
高御産巣日神(たかみむすびのかみ)
神産巣日神(かみむすびのかみ)
倭比賣命(やまとひめのみこと)
【相 殿】
【境内社】
【兼務社】
【御由緒】明治天皇の勅裁を仰ぎ、明治十三年に創建。伊勢神宮のご分社的な格式を有しており、ご神徳は広大無辺。神前結婚式創始の神社でもある。
【例祭日】4月17日
【H P】http://www.tokyodaijingu.or.jp/

朝日神社

朝日神社

【社 格】
【所在地】東京都港区六本木6-7-14
【電 話】03-3401-5790
【主祭神】
【相 殿】
【境内社】
【兼務社】
【御由緒】朝日神社は、旧記(麻布台懐古碑)によれば旧暦天慶年中(西暦940年)草創と伝えられております。

はじめ、市杵島姫大神(弁財天)を祭り、当地の鎮守の社として広く庶民に尊信されて居りました。

その後、伝うところによれば、大和の武将 筒井順慶の姪で、のちに織田信長の侍女となりました 朝日姫(清心尼)様が、渋谷から長者ヶ丸(現青山辺)を過ぎる途中、草むらに光輝くものを見つけ、
近づき凝視してみたところ、稲荷の神像と観音の像を見つけました。

草むらより持ち帰った観音像は専称寺に贈り、稲荷の神像は当社に祀られ、弁財天と合祀して【日ヶ窪稲荷】と呼ばれるようになりました。
その後、明和年間に【朝日稲荷】と改称され、益々尊敬する人々多くなり、隆昌を極め、明治28年【朝日神社】と改称し、現在に至ります。
【例祭日】
【H P】http://www.asahi-jinjya.com

朝日神社

三崎稲荷神社

三崎稲荷神社

【社 格】
【所在地】東京都千代田区三崎町2-9-12
【電 話】03-3261-1849
【主祭神】宇迦之御魂神、素盞嗚尊、大市姫神、大物主神
【相 殿】
【境内社】
【兼務社】
【御由緒】最初の鎮座地は現本郷一丁目の丘陵海浜の地、年代は寿永元年(一一八二)、武蔵国豊島郡三崎村総鎮守として創祀せられたと推定される。慶長八年(一六〇三)二月、徳川家康、潮大地埋立て工事のため、当社地を西三丁に奉遷、万治二年(一六五九)江戸城外濠神田川筋の堀割り工事のため、社殿を東南、現三崎町二丁目北部の地に奉遷、万延元年(一八六〇)幕府講武所開設のため、旧水道橋西ぎわに奉遷、明治三十八年現在地に奉遷。
【例祭日】5月9日
【H P】

三崎稲荷神社

住吉神社

【社 格】
【所在地】東京都中央区佃一丁目1-14
【電 話】03-3531-3500
【主祭神】住吉三神
息長足姫命
東照御親命
【相 殿】
【境内社】
【兼務社】
【御由緒】天正年間(1573- 1592年)、徳川家康が上洛し、摂津国西成郡佃村(現・大阪市西淀川区佃)にある住吉神社(改称の経緯:田蓑神社→田蓑姫神社→住吉神社→田蓑神社)に参詣した際、佃村および近隣の大和田村(現在の西淀川区大和田付近)の漁民が神崎川に渡し船を出して家康一行を運び、白魚などを献上した。これを機縁として、以後、両村の漁民は家康から西国海上隠密の用を受けたり、大坂の役の際には軍船や魚の調達をするなどした。また、家康は両村の漁民に対し、恩賞として全国での漁業権を与えた。
天正18年8月1日(1590年8月30日)、徳川家康が関東下降の際、先述の佃村および大和田村の漁夫33人と神主・平岡権大夫好次が江戸に移り、正保2年(1645年)には江戸鉄砲洲向かいにある百間(約180m)四方の干潟を幕府から下賜された漁夫らがこれを埋め立てて築島し、永住することになった。この島を故郷の摂津国佃村にちなんで「佃」(島は「佃嶋」、村は「佃村」)と命名し、正保3年6月29日(1646年8月10日)には、息長足姫命(神功皇后)と東照御親命(徳川家康の霊)の分霊を奉遷し、摂津国佃の住吉社(現・田蓑神社)の分霊(住吉三神)とともに祀るべく、住吉神社が創建された。
【例祭日】8月6日
【H P】http://www.sumiyoshijinja.or.jp/index.html

波除神社

波除神社

【社 格】村社
【所在地】東京都中央区築地6丁目
【電 話】03-3541-8451
【主祭神】倉稲魂命
【相 殿】
【境内社】弁財天社(市杵島姫命)
末社(天照大神、大国主命、少彦名命、天日鷲命)
【兼務社】
【御由緒】明暦の大火後、築地の埋め立て工事が行われたが、荒波の影響で工事は難航した。その最中のある晩、光を放ち漂う御神体が見つかり、万治2年(1659年)、現在地に社殿を建て祀った。その後、波が収まり工事が順調に進んだことから、以降厄除けの神様として信仰を集めることとなった。
【例祭日】6月10日前後数日
【H P】http://www.namiyoke.or.jp

松島神社

【社 格】村社
【所在地】東京都中央区日本橋人形町2-15-2松島ビル
【電 話】03-3669-0479
【主祭神】稲荷大神、伊邪那岐大神、日前大神(天照大神)、北野大神(菅原道真公)、手置帆負神、彦狭知神、淡島大神、八幡大神、猿田彦神、琴平大神、天日鷲神(大鳥大神)、大宮能売神(おかめさま)、大国主神(だいこくさま)
【相 殿】
【境内社】銀杏稲荷神社
【兼務社】
【御由緒】日本橋七福神の大国神、別称大鳥神社
江戸時代の国学者賀茂馬淵翁が元文2年(1737)11月14日より松島稲荷社に寄宿され、当社に於いて神の道を説かれたと「賀茂馬淵翁伝新資料91頁」に記されているが、社記類は大震災と戦災によってすべて灰塵に帰してしまっているので、創立年月日は詳らかでないが、口伝によると鎌倉時代の元享(1321)以前と推測される。
昔この辺りが入り海であった頃小島があり、柴田家の祖先が下総の国からこの小島に移り住み、邸内に諸神を勧請し、夜毎揚げる燈火を目標に舟人が航海の安産を得たと伝えられる。
正中元年(1324)3月2日夜刻三男柴田権太に百難救助すべしとの神示があり、霊験自在円満の感応あり其の奇得を遠近の諸人が信仰し、これにより正一位稲荷大明神の位記を奉らる。
天正13年(1585)2月13日住民の希望に従い、邸宅を公開し参拝の自由を許容せり。島内松樹鬱蒼たるにより人々松島稲荷大明神と唱え、又、権太の木像を安置し権太大明神とも俗称された。
(神社本庁明細)
正徳3年(1713)新町が開設される時に社号に因んで町名を松島町と称した。当時近辺を埋め立て武家屋敷を造営するために、日本各地から技をもつ人々が集められてそのまま住まいを構え、町の中心に位置した松島稲荷に、それぞれの故郷の神々の合祀を頼んだために他社に比べ御祭神が14柱と多い。
明治7年4月2日松島稲荷神社の名称を以って村社に列格される。
大正5年6月10日松島神社と改称。
昭和8年2月1日都市計画法の実施に伴い蛎殻町4丁目に改称せられ、その為松島町は消滅する。

松島神社


【例祭日】
【H P】

末廣神社


【社 格】
【所在地】中央区日本橋人形町2-25-20
【電 話】03-3667-4250
【主祭神】宇賀之美多摩命、武甕槌命(毘沙門天)
【相 殿】
【境内社】
【兼務社】
【御由緒】日本橋七福神の毘沙門天
江戸時代の初期に吉原(当所葦原と称した)がこの地にあった当時(元和3年から明暦3年まで)その地主神、産土神として信仰されていました。明暦の大火で吉原が移転してからは、その跡地の難波町・住吉町・高砂町・新泉町の四ヶ所の氏神として信仰されていました。
社号の起源は、延宝3年社殿修復のさい年経た中啓(扇)が発見されたので氏子の人達が悦び祝って末廣の二字を冠したものです。
【例祭日】5月22日
【H P】

神田神社


【社 格】旧准勅祭社・旧府社・別表神社・東京十社
【所在地】東京都千代田区外神田2丁目16番2号
【電 話】
【主祭神】大己貴命
少彦名命
平将門命
【相 殿】
【境内社】江戸神社
ご祭神 – 建速須佐之男命 祭礼日 – 5月14日
祖霊社
神田明神を尊崇なさった氏子・崇敬者の先祖をお祀りするお社。
合祀殿
平成24年に旧・籠祖神社社地に建立。
末廣稲荷神社
ご祭神 – 宇迦之御魂神 祭礼日 – 3月午の日
三宿・金刀比羅神社三宿神社
ご祭神 – 宇迦之御魂神 祭礼日 – 10月初旬
金刀比羅神社ご祭神 – 大物主神、金山彦命、天御中主命 祭礼日 – 10月10日
浦安稲荷神社
ご祭神 – 宇迦之御魂神 祭礼日 – 3月午の日
大伝馬町八雲神社
ご祭神 – 建速須佐之男命 祭礼日 – 6月5日
小舟町八雲神社
ご祭神 – 建速須佐之男命 祭礼日 – 6月6日
水神社(魚河岸水神社)
ご祭神 – 弥都波能売命 祭礼日 – 5月5日
【兼務社】
【御由緒】
【例祭日】5月15日ごろ(神田祭)
【H P】http://www.kandamyoujin.or.jp

山王日枝神社

山王日枝神社

【社 格】准勅祭社(東京十社)、官幣大社
【所在地】東京都千代田区永田町2丁目10番5号
【電 話】03-3581-2471
【主祭神】大山咋神(おほやまくひのかみ)
【相 殿】国常立神(くにのとこたちのかみ)
伊弉冉神(いざなみのかみ)
足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)
【境内社】
【摂社】日本橋茅場町摂社日枝神社
【御由緒】
当社は武蔵野開拓の祖神・江戸の郷の守護神として江戸氏が山王宮を祀り、さらに文明10年(1478)太田道灌公が江戸の地を相して築城するにあたり、鎮護の神として川越山王社を勧請し、神威赫赫として江戸の町の繁栄の礎を築きました。やがて天正18年(1590)徳川家康公が江戸に移封され、江戸城を居城とするに至って「城内鎮守の社」「徳川歴朝の産神」として、又江戸市民からは「江戸郷の総氏神」「江戸の産神」として崇敬されました。
二代秀忠の時の江戸城大改造の際、城内紅葉山より新たに社地を江戸城外に定め、社殿を新築して遷祀されました。世に元山王と称する地は今の隼町国立劇場附近です。この時から別当神主を定め、神社の規模は広大に整い、広く一般衆庶も参拝し得る道を開きましたが、明暦3年(1657)の大火に社殿炎上の災に遇いました。時の将軍家綱は直ちに赤坂の溜池を望む松平忠房の邸地を官収して社地に充て、結構善美を尽くした権現造の社殿を造営・遷祀して、天下奉平、万民和楽の都を守護する祈願所として崇敬しました。
明治元年東京奠都と共に勅使奉幣が行われ、御西下御東幸に際しては御途中御安全の御祈祷を修せしめられ、明治2年7月天下水患にあたり勅使祈晴の御事があり、宮妃御懐妊の際は御安産の御祈祷を修せられ、皇室典範帝国憲法の制定を始めとして開戦及び平和回復等の重大事に際しては、常に勅使参向御奉告が行われ、畏くも大正天皇儲宮にまします時、御参拝があり、
明治天皇は御愛蔵の御太刀一振(長光)を御進献あそばされました。
萬治2年御造営の社殿は、江戸初期権現造の代表的建物として国宝に指定されていました。昭和20年5月戦禍に遭い、末社山王稲荷神社を残し悉く烏有に帰しましたが、氏子崇敬者の赤誠奉仕により「昭和御造営」の画期的な大事業が企画され、昭和33年6月本殿遷座祭齋行、引き続き神門・廻廊・参集殿が逐次完成、更に末社改築、摂社の大修築、神庫校倉の改造等を相次いで行ない、全都をあげて之を慶賀し、昭和42年6月奉祝祭が先ず齋行され、この間、昭和33年6月現社地御鎮座三百年祭を齋行し、ここに昭和24年復興後援会発足以来10年に亘る歳月を以て、山王台上に再び大社の偉容を拝するに至りました。
昭和52年7月江戸城御鎮座五百年奉賛会が結成され、昭和53年6月500年を祝する式年大祭を厳修し、昔をしのぶ天下祭にふさわしい山王神幸祭の復元、尚記念事業として、「日枝神社史」の刊行「宝物殿」の建築、本殿以下社殿の修繕、境内整備等が実施されました。
【例祭日】6月15日(山王祭)
【H P】http://www.hiejinja.net/